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 次に課題となったのは、そのような状況下、建築側がクライアント側の意識の変化に対応できるのかということだった。確かにCADシステムは普及しつつあり、これらの事例のようにCADデータは充実しつつあった。

 一方で、設計事務所側のCADデータはあくまでも設計図書のためのものであり、ゼネコン側ではそれを元に施工図面を起こし、施工を実施することはなかった。




 他の製造業のように設計の上流で作成されたデータが最終段階までスムーズに流れ、製品が完成されるように建築は成り立っていない。ゼネコンのように、設計施工部門を同じ組織内にもっていたとしても、設計データが施工(図)データにCADシステム上で援用されることはなかった。勿論、ゼネコンが自社で設計施工する案件の割合が低く、施工図作成も、その多くが外部の専門組織に外注しているという側面もあった。

 更に、極端にいえば、施工現場はある部分、マニュファクチュアであり、日々、行われる施工の変更が施工図(データ)に全て反映されるとは限らない。そのため、設計データも施工データも、途中経過で生成したものであり、竣工した建物自体が最終的な完成データとなる。そのような状況下で、CADデータをクライアント側が受け取ったとしても後々の施設管理などには援用しにくかった。

 このように手描き図面からCADシステムの運用に向けて環境が変化する中で、建築が抱えていた課題が多く顕在化していった。しかし、このことはデメリットだけではない。 建築は常に一品生産であるという他の製造業と決定的に異なるユニークさがそこに隠されていたからだ。

 この話には後日談がある。日経アーキテクチュア誌への連載を契機に、正式に日本電気を取材できた。結果的に、どの段階で、誰からCADデータ提供されたかは判明しなかったが、確かにクライアント側は提供されたCADデータを下敷きにして、社内では施設管理に援用していた。

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