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 寒い日が続いています。ラニーニャ現象の冬は寒いとの天気予報が当たりました。気が早いですが、それでも季節は移ろっています。

 雑事にかまけているうちに、と気がつくと、きっ季節も変わっています。春。待ち遠しいです。今年の桜はどうなのでしょうか。。




 「桜」というと西行を思い出します。高校時代に「古文」の臨時教員として赴任してきた方がいました。その後、関西の某大学の教授となり、今では、朝日新聞の読書欄の書評も担当している方です。当時、「古文」はふ〜んという感じで、授業にも力が入っていなかったのですが、その方は、数々の短歌を今の時代に引き寄せて、紐解いてくれました。

 千数百年も前の人たちも、恋愛については、似たような心の動きをしていたのだ。恋愛といった人の本質に根付く深い感情は、千年くらいの時間の流れでは変わらないものなのだ。「古文」の授業は楽しみとなりました。それからは折に触れて歌集を読んできました。よい教師との出会いは大切なものです。

 願はくは花のしたにて春死なん
 そのきさらぎの望月のころ

 鳥羽院に北面の武士として仕えていた西行は23歳で出家しています。出家の原因は諸説あるのですが、鳥羽院の中宮であった待賢門院璋子への恋心からともいわれています。

 この説については、作家の辻 邦生氏が「西行花伝」に書き留めています。出家の際に衣の裾に取りついて泣く我が子を縁から蹴落としたもいわれています。

 そこまでの切実さで、何故、出家しなければならなかったのか。筆者には何らかの政争に巻き込まれることを嫌い、出家したように思えています。それから沢山の旅をし、今に残る多くの歌を残しています。

 「吾妻鏡」には鎌倉で源 頼朝に面会したとも記されています。時代は武士が台頭し、古い体制が音を立てて崩れようとしていました。そんな激動や京都と鎌倉の政争から身を遠のけて、歌を詠んでいたのです。敢えて時代には触れない。彼の胸の内には何があったのでしょうか。

 歌人といえば実朝にも惹かれます。 実朝も北条一族から形ばかりの将軍に祭り上げられ、政治的な立場は明確にはせず、歌に没頭しました。ぼんくらを演じていたのでしょう。そんな二人はある種の近親感をもっていたようにも思えます。

 大海の磯もとどろに寄する浪(なみ)
 われて砕けて裂けて散るかも

 この歌は写実の見事さがいわれていますが、彼の政治的に不安定な立場を考えると、写実にこと寄せて、まるで自らの内面を写実したに違いないとも思えます。

 桜は、散り際の潔さのみが強調されていますが、その妖艶さの方が気になります。何かから身を離れ、また誰かから祭り上げられ、「語らない」ことを胸に秘めて歌を詠む。そんな内面の葛藤が人として「妖艶」であり、それが豊かな文学表現に結実したのだと思えてなりません。春には鎌倉を訪ねて、桜を愛で、海風にあたってこようと思っています。

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