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 もうすぐ梅雨がやってくる。この季節になると、太宰治を偲ぶ「桜桃忌」を思い出す。太宰治(1909〜1948)が山崎富栄と玉川上水に入水心中したのは、昭和23年6月13日のことだった。第一回の桜桃忌は翌昭和24年6月19日に開かれた。

 「桜桃忌」は彼の名作「桜桃」にちなんで名付けられたそうだ。「桜桃」とはさくらんぼのこと。彼の墓には「昭和二十三年六月十三日歿」「毎年六月十九日に桜桃忌が行われる」 と刻されていると聞いたが、気恥ずかしさからか訪ねたことはない。




 ごく普通の市民生活からはきっと彼は最悪のやつだった。生前に実際につきあっていた友人は大変だったのだと思う。そんなことからか、「太宰の小説が好きだ」とはなかなかいい出せない。

 最初に「走れメロス」を読んだのは小学校の国語の教科書だった。彼は自分の書いたものが教科書に載るとは予想もしなかったと思う。お国の方は、固い友情を歌い上げ、美談として掲載したのだろうが、子ども心にも、そんな簡単には乗せられないぞと考えた記憶がある。その違和感をずっと引きずっている。

 彼は果たして何を「走れメロス」に託したのだろうか。朧気ながら、自分なりに推測できるようになったのは、かなり後年になってからだ。

 物語の最期に、ようやく駆け込んできて、全裸に近いメロスにある女性が衣をかけるシーンがある。これが最も大切な部分なのではないかと、ずっと、考え続けている。言葉にすると陳腐だが「ささやかな配慮」といえるようなもの。このシーンがないと、ただの美談。太宰が最も必要とし、自らも果したかったのは、そんな「ささやかな配慮」だったのかもしれない。

 よく知られているが、彼は生まれてすぐに実母から引き離され、乳母に育てられた。アフリカの草原のシマウマは、ライオンに食べられないよう、生まれるとすぐに立ち上がる。それと比較すると、人ほど成長までに手がかかる動物はない。特に生まれてから数年は、母親だけが頼りだ。そんな時に、実母から引き離されたことは大きな傷となったはずだ。

 「愛されているのか」という不安は、人一倍、他者に対して気を遣ったり、おどけてみたり、サービス精神を発揮してでも、愛情を確かめようとする態度に繋がる。「愛し方」を知らないといった不安も生まれるだろう。

 女々しくて、だらしなくて、という太宰の対極のように思われている三島由紀夫。彼も生まれてすぐに実母から離され、祖母に溺愛されて育つ。彼は最期の瞬間に向けて徹底的に肉体を鍛えた。まるで見えない何ものに対して武装するかのようにだった。彼は「太宰」に資質的な近しさを感じ、それから逃れようと意識しつつ、その作品を認めていたのではないだろうか。

 小説を書く。彼らには必然だった。誰かに向けて書いたのではなく、自らの傷を小説という方法で再認識、対象化し、それを乗り越えようとしたのかもしれない。




 太宰の作品で一番好きなのは「津軽」だ。ある時、主人公(きっと太宰)は、かつて自分を育ててくれた乳母を訪ねる。そんな育てられ方をしたのだから、ひねくれていて、乳母には随分と酷くあたった記憶があり、後ろめたさを抱えている。

 乳母を訪ねると、遠くから乳母の声が聞こえてくる。そんな酷い扱いをしたことなどなかったかのように、あのおぼっちゃんはいい子でしたよ、と....。

 主人公の中で何かが溶けていく。誰もきっと、他者に対しても、自身でも、何らかの後ろめたさを抱えている。もうちょっと優しくしておけばよかったのに、というように....。愛したことも、愛されたこともないのではないかという不安の中で、「ささやかな配慮」に触れると、一瞬でも、自分はもう許されているのではと思える。太宰には、そんな人間関係だけが世界を構成する全てだった。


三鷹市芸術文化振興財団
第9回「太宰を聴く〜太宰治朗読会」
・6月22日(日)/14:時開演
太宰治作品をモチーフにした演劇 第5回/東京タンバリン
・6月27日(金)〜7月6日(日)/全12回公演

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