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 「都市詩集3 TOKYO1945-1986 東京詩集III」(1986年/作品社刊)。

 東京。生まれ育った街。今も仕事や私用で歩き回っている街。時間に余裕があると、わざと地下鉄にも乗らず、歩き回っている。だから、土地勘も養われ、山の手線内は、徒歩での距離感は概ね、身体に染みついている。それでも、この街は結構、起伏に富んだ地形で、坂を上ると、突然、見知らぬ風景が目の前に開け、はっとしたりする。

 昭和を懐かしむ映画が次々と上映されているが、そんな映画の中でCGで再現された風景はリアルタイムで知っている。祖母と乗ったバスから見上げた建設中の東京タワー。引っ越した郊外のニュータウンの周りの田んぼ。高層ビルが建つ前の新宿の空き地でのマイルス・デイビスのコンサート。

 六本木ヒルズ、ミッドタウンで大規模な再開発は終わりかと思ったけれど、まだまだあちこちで高層ビルが建設されている。これで最後らしい地下鉄、副都市線も開業した。銀座、丸の内、表参道には洒落た店やブランド旗艦店が次々とオープンしている。「お金」があれば物欲、食欲を満たすのに、こんなによい街はない。

 反面、メディアではワーキングプアー問題が取り上げられている。高度成長期を経て、「お金」があればものを買えることを皆が知った。もう飢えはないし、誰もが豊かになった。いわれている格差は、一面で、豊かさの質が変わったことで生まれている。「比較こそ、最大の悪」との言葉が思い出された。そんな東京は全てを飲み込み、まだ無際限に変貌を続けている。

 この本は第二次大戦の敗戦から1986年まで、東京を題材にした詩が取り上げられている。詩人は炭坑の坑道に持ち込まれたカナリアのようなもの。1986年、それは今に至る東京の変貌の萌芽が垣間見られる時期だったと思う。そんな東京を振り返りつつ、今の東京を俯瞰したい。




 華やぐこの街の背後に、かつて焼け野原だった記憶がまだ隠されている。これでもかというほど投資をし続けた街、東京。いつかはわからないまま、やがて訪れる大災害の後の焼け野原は60数年前のそれとどう違うのか。誰も語りたがらないが、目の前の風景は砂上の楼閣なのではないか、そんな暗い不安をこの街はずっと抱えている。

見よ、この巨大な荒地を、
誰ひとり憩もうともせず、
ただ歩きつづけているひとびとを、
たちどまると、そのまま息絶えるように思えて、
なえた足をひきずりながら、
乾いた唇をなめずりながら、
目的もなく、
ただ歩き続けているひとびとの群れを。

「一九四五年秋II」中桐雅夫/中桐雅夫詩集 1964年


新宿駅東口。二幸のあったところに二幸はない。一九六九年一二月歳晩未明。絶叫のように、地下通路をまっすぐはやく階段を二段三段ついてあがり、呼気気せわしくひとりわらいひとしきり。手袋の両手に紙袋ふたつ、袖口をひたいへもっといって髪掻き、さっとこちらへ面をおこした青年がいた。

「挿話」正津 勉/おやすもスプーン 1981年

 この街も若かった時代、新宿は日々、争乱の中にあった。その争乱に加担したいと思いつつ、周辺をうろついていただけだった。今から思えば気がつかなっただけだ。60年代後半から、この国は本格的に高度成長の果実の分配に入った。その前に一時の争乱。そこで提起された問題の数々はきっと本質的であったが故に、現在まで引き継がれ、再び、問い直されようとしている。


いわし色の大気汚染がサンシャインに焦げついている
地上240メートル
サンシャインシティの遺物?サンシャイン60
<未来にはばたく新しい街の鼓動をあなた自身の目と耳でお確かめください>
何という手軽だ

 サンシャイン60が立ち上がるのも見上げた記憶もある。あんなにも高く、よく垂直に立てられるものだと驚いていた。この詩には、京王プラザ、住友ビルなどが登場する。そして「飛べない自尊?」という言葉も。東京の変貌は、高層ビルという形で視認できるようになった。そんな中で、自尊=個人=ひとびとは街の変貌との関係を意識し始めていた。

「想い出はサンシャイン60で」山本博道/藁の船に抱かれて 1979年


小田急線はいつも混んでいて立っていく
正午前後に乗る西武池袋線はたいてい座れる都営地下鉄も座れる。
普通乗るのはそういうのである
小田急線の下る方向には大学があるから人が多い。混んだ電車に乗りこむときの感情が嫌いである人を嫌いになりつつ乗りこむ

「小田急線喜多見駅周辺」伊藤比呂美/青梅 1982年

 伊藤比呂美の詩には「性」がよく登場する。この詩の後半にも、急激に周辺に広がり、形成されつつある郊外の街で暮らす女性の「性」が語られている。1980年代、この街のひとびとは「個」へと分断され、あるいは「個」に引きこもりつつあり、「個」となったが故に、「嫌い」との生理と共に、「性」をもって風景に対峙しようとし始めた。

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