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 吉本隆明さんのことを知ったには、1969年の冬だったと記憶しています。18歳で大学浪人の時でした。きっかけは覚えていませんが、友人が家に来た時に、吉本さんの「転位のための10編」という詩を読んでくれました。自分で詩を読むのと、声を出して読まれたものを聴くのでは大変違います。友人の声で「転位のための10編」を聴いた時は、後から読み返した以上の衝撃がありました。

 それまで、自分を慰めるようにして読んできた詩とは違う。慰めとか甘えとかを削り取った感じ。一人で立っている感じ。硬質な言葉。本当のことが書かれている感じ。こんなことまでいえる、いってしまってもいいんだという感じ。そんな衝撃だったと記憶しています。

 それからは、新刊売り場に、吉本さんの新著が出ていると買ってきて、読んできました。吉本さんの本の中身を系統立てて考えたこともなく、読み散らかしてきたという一読者です。

 それでも何かにぶつかると、印象に残った言葉がいつも脳裏をよぎりました。考えるヒントももらいました。大げさに言えば、まだ、やっていけるんだと思ったこともありました。

 2001年3月に刊行された「幸福論」があります。本屋で「幸福論」というタイトルを見て、そこに吉本さんの名前があった時には、「幸福」という言葉は吉本さんに似合わないなと思いながら、帰りの電車の中で、あとがきを読みました。アランの「幸福論」のことが書かれていました。

『わたしは見得と気張りを含めて「幸福」という概念がぴんと来ないときだったので、いわば喰わず嫌いでこの本を敬遠して読まずにやり過ごしてしまった。幸福とか不幸とかおれに何のかかわりがあろという傲慢さが、もうすでに自分に兆していたのだ。
 しかし後にアランの選集をきちんと読む機会があって、わたしの思いこみが崩れてしまった。
 アランは日本の仏文学者から植え込まれたような芸術に深く執着した哲学者(には違いないが)というだけではない。フランスの左翼思想が解体にさしかかり、四分五裂した時期に、非ロシア・マルクス主義(非スターリン主義)系グループの小集団を主宰したラヂカルな思想家という面をもっていることを、はじめて知った。論理がもっている不幸と、その不幸にのめり込んでゆくときの幸福感をよく知っている人で、日本の文学青年や哲学青年の手におえるような人物ではない。』

 「幸福になれるものなら」と思ってはいるのですが、「そうは簡単にはいかないよ」という声も聞こえてきます。私の「もう少し先まで聞いてみたい」には、「幸福になれるものなら」という思いがきっと隠されています。それでも、この本にある『わたしのこの本は「幸福論であるともに「不幸論」としても読めるはずだと思う』という言葉に促されて、もう少し先までいってみようと考えています。

 2002年の冬でした。今まで読んできて、自分の中に詰まっていた吉本さんの言葉がいくつか組み合わさって、「まだ吉本さんに沢山聞いてみたいことがあるな」と思ったのです。そこで親しくしているある出版社の社長に、「吉本さんに聞いてみたいことがある」という仮題で出版企画を持ち込みました。やっとみようと賛同してもらい、その会社の名前で吉本さんに企画書を送りました。そして、自宅を訪ねました。

 吉本さんには、それこそ、ストーカーのように熱狂的なファンがいるとのこと。そんなおかしな奴の一人だと思われても仕方なかったのに、高齢となり、体調も崩していると聞いていたにも関わらず、玄関で小一時間も対応してくれました。結果は「否」。「ここまで行ったのだから、その先も自分で考えてみたらどうだろうか」との言葉をもらいました。恥ずかしい思いでした。「安易に答えを求めず、自分でやってみたら」と...。

 「聞いてみたい」といいながら、本音では「答えを教えて欲しいと思っている」のを見透かされたように思いました。

 吉本さんには思想を体系的にまとめた「心的現象論」「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」といった著書があり、それらは私のような読者にはとても難解です。最近のことですが、その難解さを決して水増しして薄めるのではなく、難解さをとてもわかりやすく(これがとても難しいはず)解きほぐした著作が店頭に並んでいます。
 それら最近の著書をヒントに、難解な本を少しでも読み解いてみたい。吉本さんは、例えば「心的現象論」についても、ここ直近の思索の結果として、新たな見解を加えたり、修正したりしています。まだまだ、これらの著書も、現在進行形なのです。

 ここでは、そんな吉本さんの本の中で、私が時々に立ち止まった言葉を取り上げ、それに対して自分なりの考えを書き連ねる方法で進行していきます。取り上げた言葉は、他の読者の方々とは異なったものとなっているかもしれません。私の理解が及ばず、取り上げられなかったものも沢山ありました。的はずれなものも多いはずです。吉本さんが繰り返し語りっていることを、何度も、重複して聞いている部分もあります。

 読者の代表だなどと思っていません。それでも少しばかり、他の読者の方々と、吉本さんに「もう少し先まで聞いてみたい」という思いが共有できたら嬉しい限りです。

 >次回




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