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『とにかく一生に一度はかならず一緒に暮らしてもいいと思う人と出会うものだという確信のようなもの』

 誰かを好きになって、それを伝えるとき、「両方とも敏感になっているから、こっちも怖いけれど、向こうも怖いのかもしれない」と吉本さんはいっています。いったら最後、一期一会になってしまって、「もう友達には戻れないよ」ともいっています。

 下世話ないい方をすれば、男女の間で友情は存在するのかということと関係しているのでしょう。友情は存在すると思います。ただし、吉本さんの言葉にあるように、告白したら、もう元には戻れないでしょう。

 告白して受け取れてくれれば、男女の関係が成立する。男女の関係は、二人で閉じていきたいと望むものですから、友情とは全く異なるものです。受け取れて暮れない場合はといえば、表面的に関係は変わらないかもしれませんが、深い部分では少しずつ関係は偏執していくでしょう。

 そんな男女の関係をテーマにした映画「近距離恋愛(MADE OF HONOR)が2008年7月12日(土)から封切られます。
 トムとハンナは大学時代から10年来の大親友です。週末には街を二人で散策し、食事も一緒。大好きなケーキをふたつ頼み、お互いに分け合っています。たわいもないジョークでも笑えるし、話も尽きることがありません。ところがある日、ハンナが突然、婚約宣言をします。今のニューヨークの街を舞台にした作品ですから、ほのぼのとしたテイストのロマンチック・コメディーに仕上がっていますが、深くは「いったら一期一会になってしまう」が隠されています。

 好きになって、その時は、一期一会だなと思って、一緒に暮らしたとしても、生活の中で、とてもやってられないなと思ったり、何とか修復したりしながらやってきたように思います。そしてまた、この人を好きになりそうだなと思ったり、そんなことを繰り返しながらやってきました。

 そんな繰り返しの中で、この人は一生に一度の人だなと思う人に出会うのだとの確信はどこからやってくるのでしょうか。吉本さんは、それが「たとえ爺さんと婆さんになった時でもいいから」といっています。

 最近、メディアで老年期の性がとれあげられるようになりました。以前であれば、いい歳をしてそんなはしたないと考えられていたのでしょうが、よい意味で、そんなタブーから解き放たれて、多くの人が自由になったのだと思います。

 さまざまな関係の形があるようです。一緒には住んでいなかったり、入籍はしなかったり。入籍までと考えると、子供たちが反対するケースがあるそうです。子供たちの方が、逆にタブーに敏感で、「いい歳をして周りに恥ずかしい」といいだしたり、また財産・遺産の相続も問題となるわけです。

 そんな社会的に制約から土有になれない子供たちを尻目に、自由に人生の終末期を楽しんでいる方々。その終末期に、吉本さんのいう「とにかく一生に一度はかならず」という人に出会ったのかもしれません。行為としての性が介在しなくとも、手を繋いでいるだけで満足....。もしかすると、人生の最後の瞬間近くに出逢えるかもしれない。そう考えると、少しは希望のようなものも感じられます。

 そして、これもまた、どこかで「一歳未満の無意識の組み合わせ」と深く関係しているはずです。



「人間、一生に一度は自分に合った異性と出会うものだ、と思いました。おじいさんか、おばあさんか、そんなことを気にしなければ、とにかく一生に一度はかならず一緒に暮らしてもいいと思う人と出会うものだという確信のようなものはありますね。」

出典:「僕ならこう考える」こころを癒す5つのヒント(青春出版社)(P17)



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