『男なんかみんな同じだなと思っているところがでてくるんじゃないか。』
「夏目漱石は、母親が歳をとって産んだ子で、すぐに里子に出された。古道具屋の店先の籠に入れられていたのを通りかかった姉が可哀想だと思って連れ帰った。でもまた養子に出された。そのことが傷になってパラノイア的妄想が時々、現れた」とありました。
そして「漱石にとって女の人は別の世界の人なんですね」「男女のことが主題になったときには、女の人はまるで別の世界からやってきたようなもの、みたいな感じ方です」と吉本さんはいっています。
私は、女の人が別の世界からやってきたようなものとまでは強い感じをもったことはありません。それでも、女の人は選べなのか、両方にそこそこ優しいのは、結局、両方に冷たいだけなんじゃないかと思った時に、確かに、男とは違うなと感じました。
この「男なんかみんな同じだと思っている等質感」とは女の人のどこからやってくるものなのでしょうか。ここもよくわからないところです。
それでも、考えるに、等質感をもつから「選べない」ことと深く関係してるのではないか。女性の優しさ(曖昧で男特有な夢想かも知れませんが)が、この「男なんかみんな同じだと思っている等質感」からやってきているとすると、ちょっと恐ろしいように思います。
漱石に戻りますが、彼が「女の人は別の世界の人なんですね」との思いをもっていたとすると、それは一種の「女なんかみんな同じだと思っている等質感」からかもしれません。彼の妻は悪妻だったともいわれています。女の人に対して等質感をもっていたとすると、それはとてもうまくはいかないでしょう。
「(略)根底的なところには等質感というか、冷たさというか、言ってみれば、男なんかみんな同じだなと思っているところがてでくるんじゃないか。(略)無意識の等質感というか無意識の冷たさ、平静さ、そういったものが女性にはあるように実感の延長で感じますね。」
出典:「僕ならこう考える」こころを癒す5つのヒント(青春出版社)(P81)
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