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『理屈はきかなくとも原則はありそうなんです。男女の好き嫌いとかを、恋愛関係では、あまり理屈っぽくなるような遊び方はしないほうがいいんじゃないですか。』


 どきっとしました。特に若い頃に、何回か、こういう誤謬を犯しました。別に知識を鼻先にぶら下げていたという意識はなかったのです。ましてやインテリだとも思っていませんでした。ただ、こんな本を読んでいると、その本を見せたり、貸したりしたことはありました。ただ、その本に託して、僕はこういうことを考えていますよ。理解してもらえますか、という気持ちだったと思います。それはどうも駄目だったわけです。

 そこまで、はっきりとはわからなかったですが、大人になって、薄々、それは駄目だなと気がついたのかもしれません。そこで、少しは女性に慣れてくると(決して慣れたりはしないのですが)、一緒に街を歩いたり、風景がいいところで遊んだり、心地よい疲れの方にもっていって、なるべく理屈っぽい言葉を交わさない方向にもっていったようです。

 もう少し違ったいい方をすると、先ほどのように、男性は、どうも精神的で心理的な性の部分がある。一方で女性は、身体的、肉体的な性の部分がある。とすると、これは女性の方が知識とか、理屈とかではなくて、その時々の雰囲気とかを重視し、一緒にいる時の直感を重視することに繋がっているように思うのです。

 吉本さんは、この話題を取り上げた際に、「そんなことをいうと起こられるかもしれないけれど...」とフェミニストの女性思想家について語っています。たとえ知識で立っている女性に対しても、理屈っぽい接近の仕方は駄目なんじゃないか。それなら一緒に遊園地にでも行った方がよいのではと。

 これはまた知識とか、理屈とかは女性だけに対してだけでなく、人間関係の形成の中では対して意味を持たないではとの洞察にも繋がっているように思います。



「理屈はきかなくとも原則はありそうなんです。男女の好き嫌いとかを、恋愛関係では、あまり理屈っぽくなるような遊び方はしないほうがいいんじゃないですか。
 たとえば、女の人はしないかもしれないけれど、仮に本の話題になったときに、だれそれの恋愛小説を僕もっているから貸しましょうか、というふうにに話はもっていかないほうがいいんじゃないでしょうか。それは男性はしばしばやるし、インテリほどするんですね。(略)
 ほんとうにそうかどうかわからないから、失礼になるかもしれないけれど、率直に言えば、どんな知的な言葉が好きな学者、研究者の女性であっても、どこかで理屈は好きじゃないっていう思いは絶対にあると思いますね。数学者の女の人でも、女性の物理学者でも、恋愛は理屈から入っていったらだめるで、後楽園遊園地に遊びに行ってジェットコースターに乗ったり、動物園に行ったりするほうがずっといいわけですよ。これは直感とか好意の雰囲気とか、そういうことが前面に出てくる問題で、理屈はそのあとからいろいろと出てくるかもしれない。」

出典:「僕ならこう考える」こころを癒す5つのヒント(青春出版社)(P94〜95)
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