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『何が心残りかというと、これは空想のまた空想ということになっていくわけだけど、超人的なすばらしいエロスを喚起するような異性がいて、そういう人にまだ(あるいは永遠に)出会っていないと思うことかな。』


 エロスというものが行為としてのセックスだけに限定されるとは思ってはいません。人間の関係性そのものがエロスのようにも思えるからです。

 そうだとすると、この超人的なエロスを喚起する異性との関係がもしも成立するとするとは、いわゆる関係の距離が極限にまで縮まったこともさしているのでしょうか。肉体的にも、精神的にも、他者との関係の距離が極端に近づいてしまう。そこには自身を相手の中に溶け込ませ、自身をなくしてしまいたいとの欲求があるように思えます。それはストレートにもゲイにもいえると思います。

 個人的には、どうしても関係の精神性の方に最も強いエロスを感じるます。それは肉体よりも、精神の方が、その距離感を縮めるのがとても困難だとの思いが強いからだと。また、精神性の最も顕著な現れ、言葉に敏感にエロスを感じます。そして、勿論、その言葉を補完するものとしての仕草、眼差し、香りなどの身体性も含むのですが。

 吉本さんは、また、男性には「性のプロ」はいないけれど、女性はそういう素養があるのかもしれないといっています。これは行為としてだけのセックスについてだけいっているのではないと思います。

 個人的には金銭を介して女性を買った(偏見も伴う難しいいい方ですが)ことはありませんが、時々、千葉の栄町に行く友人の一人に聞いたことがあります。やはり好みがあるから、その女性を指名する。ある日、その女性が別の客の相手をしていて、指名できなかった。すると彼は「嫉妬に似たような感情を持った」というのです。

 彼はまた、「金銭を介して粘膜が触れ合うだけなのに、妙な親近感が生まれてしまう」とも語っていました。割り切って肉体的な快楽だけを求めたとしても、そこには一時だとしても、関係性、精神性が存在してしまう。超人的なエロスを喚起する異性とは、この「性のプロ」ということとも関連があるのだと思います。



「そして、僕の人生がいま終わるとするならば、何が心残りかというと、これは空想のまた空想ということになっていくわけだけど、超人的なすばらしいエロスを喚起するような異性がいて、そういう人にまだ(あるいは永遠に)出会っていないと思うことかな。平凡な、凡々たる生命の起伏というのは、自分なりに体験したような気がするんだけど、すごい大歓喜という意味合いで、そういうのに出会ってみたいものだなというのが、心残りかもしれないと思います。」

出典:「僕ならこう考える」こころを癒す5つのヒント(青春出版社)(P174)
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