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『少数なんだけど存在を認めなくちゃいけないとか、認めてくれって段階ですけど、もうその段階は問題にはならないってフーコーは言ってるんです。』


 少数者への偏見、差別の問題は、ゲイだけでなく、人種や民族問題として世界の至る所で起こっています。些細なことを探っていけば、ある種の支配、被支配も日常の中に潜んでいます。自分では、自覚的に偏見や差別を何とか排除しようとしていますが、まだ、きっと深いところには、潜んでいるはずです。

 学生時代、どのような経緯でそうなったのかはわからなかったのですが、友人の妹が黒人と結婚したいといいだしました。彼女とは兄弟のようにも過ごした時期もあったので、考えてしまいました。それが個人としての人種的な偏見に依拠するのかはわからなかったのですが、普通に生活してはいけないだろう、子供でも生まれればもの凄く苦労するだろうなどと先回りして勝手に悩んでいました。勿論、彼女の家族は大反対。その内に、その話しはどこかに消えてしまいましたが....。

 一方で、人間はなんとか叡智を働かせて、少数者を認めようともしています。自覚として、思想として、叡智を働かせて、少数者を認めようとしている段階はまだ駄目なんだ。叡智も関係ない段階。肌の色が違うことも何もかもが一切、関係ない<ただ単独>という段階にいかないと駄目なんだ、単独者として認め合わないと駄目なんだ、吉本さんはといっているのだと思います。

 そうだとすると、そこに至る道筋はとてつもなく遠いように思います。それでもヒントはあるはずです。比較的、同一性の高いこの国に住んでいて、日々、他者との違和には悩まされています。そうなんだ。一人の人間として存在していること自体が、それぞれ違和を内包しているんだ。その違和そのものが「単独」であることを証明しているようにも思います。



「現在の日本の段階は、要するにホモってのはヘテロ(異性愛)に比べて少数だと。少数なんだけど存在を認めなくちゃいけないとか、認めてくれって段階ですけど、もうその段階は問題にはならないってフーコーは言ってるんです。彼の解釈ってのは、いちばん極限の理解だろうと思います。」

出典:「悪人正機」(朝日出版社)(P190)
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