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『「戦争なんか全部ダメだ」ってのがヴェイユの戦争観で、これは理念としてはギリギリのことをいっちゃったわけです。本音の本音をいっちゃうと、やっぱり、「戦争自体がダメだ」ということになりますね。』


 良い戦争も、悪い戦争もなく、戦争そのものが駄目なんだ。なかなかそうはならないし、余りにも美しい理念だから、吉本さんは、「声を密かにしていうといいますかね。僕自身はあまり声を大にしてそれをいいたくないよってところがあるんです。」ともいっています。

 それでも戦争というものは、国家があるから起きるんだ、ということは確かで、だから国家を可能な限り開いていく。現実的には困難が伴うのでしょうが、支配層をいつでもリコールできるようにすればいいんだともいっています。

 確かに第二次世界大戦が終わった時にも、中国から引き揚げる際に、支配層は先にさっさと逃げ帰っていった。一番、ひどい目にあったのは、私の親父たち、市井のものでした。後段の戦争とは、「政権を握っている支配者が、他国の労働者を使って自国の労働者を殺させることと同じだ」も優れた見識です。だから、勝ち負け、どっちに転んでも、支配層は生き残るわけです。

 2009年6月4日。天安門事件から10年。未曾有の経済危機の中、中国の経済成長に米国も、この国も頼らざるを得ない。そのため、甲高には、この問題について触れない。当日、CNNが報じた事件の映像が突然、テレビから消えたそうです。それで、あの国はもつのでしょうか。

 人民解放軍という名前を持つ軍隊が人民に銃を向けた。こんなバカげた矛盾はありません。軍隊が自国の民衆を守ってくれるというのはウソだと思います。戦争が駄目だということは、軍隊は駄目だということで、今ある国家も、このまでは駄目だぜということだと思います。ほぼ答えはでているのだと思います。

 そんな中で、たとえアメリカに手伝ってもらった面はあるにしても、憲法の戦争放棄の理念は、世界中の憲法をみても、優れたものだと書かれています。今は、遠くにあるとしか考えざるを得ない、戦争は駄目だぜということを見据えていく。そして、民衆が国家を開いていく方向を模索し、この憲法の理念を保持していくためには、今、そしてこれから近い将来、私たちはどのような道筋をとればよいのでしょうか。



「僕が知っている限り、一番いい戦争観を述べたのはユダヤ系フランス人の思想家シモーヌ・ヴェイユです。ヴェイユは、戦争とは何かといったら、それは結局、「政権を握っている支配者が、他国の労働者を使って自国の労働者を殺させることと同じだ」といったんです。(中略)
「戦争なんか全部ダメだ」ってのがヴェイユの戦争観で、これは理念としてはギリギリのことをいっちゃったわけです。本音の本音をいっちゃうと、やっぱり、「戦争自体がダメだ」ということになりますね。」

出典:私の「戦争論」(ぶんか社)(P214)
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