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監督:松岡錠司
脚本:松尾スズキ
主題歌:福山雅治「東京にもあったんだ(ユニバーサルJ)
キャスト:オダギリジョー、樹木希林、内田也哉子、松 たか子、小林 薫ほか
4月14日(土)全国ロードショー
公式サイト:東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
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 この話は、東京に弾き飛ばされ故郷に戻っていったオトンと、同じようにやってきて帰るところを失ってしまったボクと、そして、一度もそんな幻想を抱いたこともなかったのに、東京に連れてこられて、戻ることも帰ることもできず、東京タワーの麓で眠りについた、ボクの母親の、ちいさな話です。

 1960年代、ボクが3歳の頃。真夜中にオトンが玄関の戸を蹴破って帰ってきた。酔っぱらったオトンはボクにいきなり焼き鳥の串を食わせ、そして…オカンにホウキで殴られた。故郷の小倉で、オカンとオトンとボクの3人が暮らした短くも幸せな日々の、それが最後の思い出だった。

 オトンの家を出て、オカンはボクを筑豊の実家に連れ帰った。オカンは妹の"ブーブおばさん"の小料理屋を手伝いながら、女手一つでボクを育ててくれた。毎日、オカンは夜中に起きて漬け物の糠床をかきまぜる。「朝ご飯の時間から逆算するたい。今起きて混ぜるんが、いちばん美味しく漬かるんよ」とオカンは言う。オカンの作ってくれる美味しいご飯を食べて、ボクは大きくなった。トロッコに乗ってやんちゃな遊びをやらかすような、昭和の炭坑町のガキになった。

 オカンも漬け物をかき混ぜてばかりいたわけじゃない。近所の人たちと花札に興じたりして、酒乱のオトンから解放された自由をそれなりに謳歌もしていた。ボーイフレンドらしき人ができたこともある。オカンもまだ若くて、女だった。

 学校が長い休みになると、ボクはオトンのところへ行かされた。一度、オトンがボクのために船の模型を作ってくれたことがある。何事もやりかけで終わるオトンが作ってくれた船は、やっぱり未完成品だったが。

 1970年代、筑豊の炭坑も小倉の製鉄所も、煙突から煙を上げなくなった頃。中学3年になっていたボクは、寂れた町を出ていきたくなった。早くオカンを自由にしてあげたいという思いもあった。

 大分の美術高校に合格し、一人で下宿生活をすることになった春の日。駅まで見送りにきたオカンがボクに持たせたカバンには、新しい下着と弁当箱と、しわくちゃの一万円札を忍ばせた封筒が入れてあった。列車の中、オカンのおにぎりと漬け物を噛みしめて、15歳のボクは泣いた。


「ボクの一番大切な人。
ボクのために自分の人生を生きてくれた人──ボクのオカン。」

 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」が、映画になります。

 原作は才人リリー・フランキーが亡き母への思いを中心に、親と子、社会と個人、時代によって変わるものと変わらぬものの姿を、真っ正直に綴った自伝小説。

 ご存じの通り、2005年6月に出版されるや「泣ける」「号泣した」との評判が社会現象的ブームを巻き起こし、「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本 2006年本屋大賞」を受賞。200万部を超えるベストセラーとなった作品です。

 しかし、"200万人が涙した感動のベストセラー"という決まり文句では、「東京タワー」の持つ特別なパワーを表現するには足りません。既成の枠組みを超え、現代人の心の壁を突き破る力を持った小説「東京タワー」は、普段は本など読まない人たちにも本を買わせ、一方、"泣ける本"ブームには批判的なはずの"うるさ型"読者をも素直に泣かせました。幅広い読者層を圧倒し、熱烈に愛された傑作です。その映画化には多くの人々の熱い思いが、やはり従来の枠を超え、壁を超えて結集しました。

 昭和から平成へ、泣いたり笑ったり、ぐるぐると迷い続けて生きる日本人の真ん中に立って、今も日本人を見つめる東京タワー。松岡監督は「結果的に、泣ける映画になるのかどうかは分からない。ただ、そこにいる人間を描くんだ」と言い切ります。"泣ける映画"の提供を目指すものではありません。日本映画の真ん中に、日本人の心を描きたい。東京タワーのように高く、まっすぐに。そういう思いへのたくさんの共感が、今、ひとつずつ積み重なろうとしている、新たなる国民映画の誕生です。

(C)2007「東京タワー〜o.b.t.o.」製作委員会。





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