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 ボビー(BOBBY)。ロバート・F・ケネディの愛称。1968年6月5日、ロスのアンバサダー・ホテルでの悲劇に至る16時間。そのホテルに居合わせた22人の普通の人々の物語。

 モノクロのニュース映像の衝撃は鮮明に覚えている。初めての衛星放送中継で流れた兄のジョン・F・ケネディ暗殺の映像。マーチン・ルーサー・キング牧師が撃たれたホテルのバルコニーで、恐怖と怒りに震えていた若き日のジャクソン師。それに続くロバート・F・ケネディの暗殺。あの時も、そして今も、内部に暴力を内包し、世界に向けて輸出し続けているアメリカ。

 政治的なプロパバンダ映画ではない。それでも中間選挙の敗北後も、甲高く空虚な言葉を連ねているブッシュ大統領と政権を運営している現在の権力機構に、深く、静かにボディブローのような一撃を加えるだろう。




 ロバート・F・ケネディは、ジョン・F・ケネディ大統領時代に司法長官を務めるなど、兄の政権運営に深くコミットした人物だ。ベトナムへの介入を強め、戦争の泥沼化の原因を作ったのは兄の大統領だった。ロバート・F・ケネディの手も綺麗だったわけではない。父親が手にした汚れた資金をもとに、政治的野心を実現した兄弟。復讐を受けるかのように悲劇に見舞われ続けたケネディ家。

 名もないアメリカ市民からみれば、彼らもエスタブリッシュした権力機構の一員に過ぎなかった。それでもロバート・F・ケネディは、選ばれた者としての責任を果たすべく、あの時期、人種、年齢、階層、境遇、性別によって分裂したアメリカを統合するべく、努力を続けていた。

 カリフォルニア州の予備選挙に勝利した1968年6月5日の夜、彼がアンバサダー・ホテルで行った演説は、分裂と暴力の連鎖の中で、今、現在も、十分に説得力をもつものだった。
 この映画は、製作者の意図を越えて、大きな影響をもつと考えられる。ブッシュ大統領の演説とロバート・F・ケネディの演説。今、彼があの言葉を語ったならば....。二年後の大統領選挙の予行演習のようにも思えてしまうからだ。




 22人の登場人物。定年退職した後、居場所もなく、ホテルに通い続けるドアマンとアフリカ系アメリカ人の友人。二人は日がな一日、ホテルのロビーでチェスをしている。
 厨房で働いているメキシカン。ようやく手にしたドジャースのチケット。早退を申し出るが、拒否されて行けない。

 融通がきかず、規則に忠実な上司は彼らに偏見をもっている。そんな上司を揶揄し、ささやかな抵抗を試みるのは腕一本で成功を手にしたアフリカ系アメリカ人の料理長。

 かつての栄光にすがり、今は酒浸りになっているシンガーと彼女をサボーする人のいいマネージャー。女優志願のウェイトレスはホテルの客に目配せしながらスポンサーを探している。選挙運動のボランティアをさぼって麻薬の売人からLSDを手に入れてハイになっている若者たち。

 歳が離れた若い妻をともなってロスに休暇でやってきたビジネスマン。パーティードレスに合わせた靴を忘れた妻は、新しく買った靴がしっくりこないのに苛立っている。

 ホテルの支配人は、ヘアーメイク担当の妻の目を盗んで浮気をしている。相手の若い電話交換手も成り上がろうと必死だ。どこにでもいる普通のアメリカ市民。そして、きっとあの日、あのホテルにいたかもしれない普通の人々。

 監督がひとつのシンボルとして物語の核心を託した若いカップルがいる。徴兵を逃れ、ベトナム行きを忌避するため、6月5日の当日、結婚式を挙げる。彼のベトナム行きを避けるため結婚を決意した花嫁。彼女の父は元軍人で、結婚相手の態度を卑怯だと考え、結婚式にも来ない。彼も自身の選択には迷っている。

 この二人の登場人物を配したことでも、今のイラクの現状と米国の行った選択への静かな内省となっている。 当時、政権中枢の人物の子供達は多くの場合、ベトナムには行かなかった。それは、今も同じだ。大学への奨学金を得るために、職がないので州兵となった若者たちが傷ついている。イラクでの死亡・負傷者率はベトナム戦争の時と同様に、アフリカ系アメリカ人などマイノリティーの方が高い。




 監督・脚本は、エミリオ・エステヴェス。彼は、地獄の黙示録で知られるマーティン・シーンの息子だ。マーティン・シーンは女性シンガーのマネージャーも演じている。本名からわかるように、この親子はスパニッシュだ。

 熱心な民主党支持者として知られるマーティン・シーンは、古くからケネディ家と交流している。子供時代、エミリオ・エステヴェスは、父に連れられてアンバサダー・ホテルを訪ねたという。映画の企画を温めている途上、徴兵忌避のために結婚したという女性にも偶然、会っている。それによって若いカップル像を造り上げたという.。

 この映画はさまざまな偶然とそれに導かれたある種の必然によって製作された。エミリオ・エステヴェスは、「9.11同時多発テロから数年を経なければ、映画化の企画を持ち出せなかった」と語っている。

 老ドアマンが帰宅する友人をホテルの玄関で見送ると、そこにロバート・F・ケネディがやってくる。かつてのように「ようこそ、アンバサダー・ホテルへ」と、ロバート・F・ケネディと握手する老ドアマン。

 さまざまなトラブルと野心と希望も抱えてあの日、アンバサダー・ホテルに集った22人。予備選挙勝利の演説を聞こうと、演壇の前に集まってくる。一瞬、映し出される暗殺者の映像。

 集まった人々は、ロバート・F・ケネディの登壇に沸き立っている。誰もが自ら抱える現実を一時、忘れたかのように笑顔で、賞賛のまなざしで彼を見上げている。

 やがて演説を終えた彼は、混雑を避けるため、厨房を通り抜け、ホテルを出ようとする。そこで暗殺者は、引き金を引いた。

 その時、流れるのは、あのモノクロのニュース映像だ。フィクションとドキュメンタリーの融合。実際の暗殺シーンを映したのかと錯覚するほど、見事な演出だ。
 それらのニュース映像は、この映画の趣旨に賛成した各メディアとロバート・F・ケネディの妻、エセル・スカケルからの使用承認を受けたものだという。




 60年代にヒットした楽曲が効果的に使用されている。中でも印象的なのがサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」だ。

 ロバート・F・ケネディが演説のため登壇し、人々が賞賛の目で、彼を見上げているシーンで「サウンド・オブ・サイレンス」が流れる。やがて背景音は消え、「サウンド・オブ・サイレンス」だけが聴こえてくる。

 何故、音が消えたのか。その意味は「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞に隠されている。
.....
Ten thousand people maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
.......

 人々は、音のない世界で、深く分裂している。あの時代、泥沼のベトナム戦争からの撤退を明確に主張し、人種や経済的な格差を可能な限り解消しようと務めたロバート・F・ケネディは、希望の星だったに違いない。映画のコピーには、『22人の"希望"の物語』と記されているが、行使される政治権力と普通の人々の関係はもっとシリアスだ。
 
 彼が大統領となっていても、行使するのは、普通の人々と対立することもありうる政治権力だ。仰ぎ見るように、賞賛だけするのではなく、常に権力機構との間では、緊張感をもっていなければならない。声なき声として、音のない世界で分裂し、孤立することだけは避けなければならない。きっと、そんな意味も込めて、深く心に響いてくる「サウンド・オブ・サイレンス」....。

  中間選挙敗北後も「イラクでは勝ってはいないが、負けてもいない」と強弁するブッシュ大統領の空虚な言葉。この国では、公共という美名をまぶした「美しい日本」の曖昧さと空虚さが2007年は露わになるだろう。
 私たちは、米国大統領選挙の選挙権はもっていない。それでも、2007年は、自国の政権の米国との関わり方を深く内省する年になるだろう。

 暗殺者の銃弾はロバート・F・ケネディだけでなく、そこに居合わせた人々も襲った。エンド・ロールでは、負傷した人々は後に全員が回復したと伝えている。その後、彼らはどんな時代を過ごしたのだろうか。

 サイモンとガーファンクルには「アメリカ」という楽曲がある。若い男女が長距離バスに乗ってアメリカを探す旅に出る歌だ。アメリカを探す旅を、この事件に遭遇した人々も続けた。長い時間を経て、その結果は二年後に明らかとなるだろう。私たちも、それぞれに「何か」を探しているのだろうか。

「ボビー」公式サイト
http://www.BOBBY-movie.net/
2007年春 TOHOシネマズ六本木ヒルズ他全国ロードショー

2006.12.26掲載
敬愛なるベートーヴェン(Copying Beethoven)< >世界最速のインディアン
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