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 世界最速のインディアン(The World's Fastest Indian) 。

 主演はアンソニー・ホプキンス。彼とインディアンとはどんな関係? インディアンとは、主人公のバート・マンローの愛機・オートバイの1920年型インディアン・スカウトだった。

 物語の舞台は、ニュージーランド南端の町、インバカーギル。時代は1962年。主人公のバート・マンローが世界最速を目指すライダーの聖地、アメリカ、ユタ州のボンヌヴィルで世界記録に挑戦するまでのロードムービー。

 いつでも出発できるし、何かを始めるのは遅くない。そんな思いに駆られ、エンドロールが終わるまで立ち上がれなかった。

 2月3日よりテアトルタイムズスクエア、銀座テアトルシネマほかにて全国ロードショー!

The Bonneville Salt Flats
http://www.utah.com/playgrounds/bonneville_salt.htm




 掘っ建て小屋のような家。朝早く、バートが目覚めるところから物語は始まる。「Offerings to the God of Speed(スピードの神への貢ぎ物)」と書かれた棚には壊れた部品が並んでいる。

 ポンコツにしか見えないオートバイを外に運び出し、エンジンかける。 以前にモトクロス会場で聞いたようなエンジン音。ボディブローのように響いてくる爆音のような音だ。たたき起こされた隣人はたまらない。「今度やったら警察を呼ぶぞ」といわれエンジンをきるバート。その家の少年トムだけが、窓から手を振っている。

 バート・マンロー(1899〜1978)は実在の人物だ。15歳からバイクに乗り始め、1920年、インディアン・スカウトを購入、オーストラリアでヒルクライムからロードレースまで様々なレースに出場。40年にニュージーランドのオープン・ロードレースで時速194.37km、57年にはビーチで時速210km台など数々のスピード記録を樹立した。

 そして1962年のボンヌヴィル。以後、70歳過ぎまで毎年のようにボンヌヴィルへ行き、67年には1,000cc以下のクラスで世界最速記録295.44kmを記録した。驚くべきことにこの記録は未だに破られていない。2006年にモーターサイクル殿堂入りを果たした。今なお世界一の座に輝く彼の改良型インディアンはニュージーランドの愛好家によって大切に保管されている。




 独り暮らしのバートは年金で暮らしている。インディアンの改良には廃品も利用し、日がな一日、油まみれになっている。ボンヌヴィル行きが長年の夢だが、前立腺と心臓にもガタがきている。

 所属する単車クラブがパーティを開き、カンパを集めることになった。年金小切手を受け取るために郵便局にでかけたバートは、窓口のフランに声をかける。

「これから話す頼みごとにはイエスとだけいって欲しい」とバート。少し考えて「イエス」と答えるフラン。「パーティに一緒に行ってくれないか」「それってデートの誘いなの」。仲間達の好意でカンパは集まったが、それでも渡航費は足りない。

 とにかくバートはもてる。ちゃっかりと、パーティ帰りにフランを家に誘い、一夜を共にした。翌朝、フランに紅茶をいれてあげる。そんな時、バートは心臓発作で倒れ、救急車がやってくる。ガウン姿のフランを怪訝そうに見ている隣人達。フランは「彼にだって愛は必要なのよ」と声を張り上げる。

 狭心症の発作だった。オートバイに乗るのにもドクターストップがかかってしまうが、年齢的に今年が最後だと決心したバートは、フランのアドバイスで、掘っ建て小屋の家を抵当に入れて銀行から借金し、出発の日を迎える。

 見送りは隣人の家族ほか数人とほんの僅か。バートが世界一になれると本気で信じていたのは、トムだけだったのだ。バートはトムに、いつも小便をかけているレモンの木と鶏の世話を託し、家の鍵を渡した後、助手席にフランを乗せて港へ向かう。ロサンゼルスまでは仕事をすれば乗せてくれると聞いたオンボロの貨物船。仕事はコックだった。作れるのはニュージーランド料理だけ。船員たちも仕方なく、その味に慣れていく。




 ロサンゼルスの入国審査では「インディアン」と口走り、あらぬ嫌疑をかけられるバート。係員の中にオートバイレースのファンがいて難を逃れる。タクシー運転手はスパニッシュ。料金の高さに驚いたりしながら、売春婦達がたむろする怪しげなモーテルにチェックインする。出迎えるたのはゲイで女装したフロント係ティナだった。
 偏見なしに彼女と接するバート。売春婦から売りつけられた花を彼女の胸元に挿してあげたりと、二人はすぐに親しくなった。

 彼女に紹介された店で中古車を超安値で買い、すぐにエンジンを調整する。牽引トレーラー造りも手作業。徹夜作業を手伝わされ、ふてくされた店主のフェルナンドもバートのエンジン扱いの腕前に目を見張り、「いい給料だすから仕事しないか」と引き留めるのだが...。

 別れ際に「優しいお嬢さん」とティナに声をかける。名残惜しそうなティナと別れ、ボンヌヴィルへ出発する。砂漠の真ん中でトレーラーの車輪が外れ、途方に暮れるていると先住民の男が通りかかる。彼は一晩泊めてくれ、お守りにと「犬のキンタマで作った」前立腺の特効薬をプレゼントしてくれた。




 外れた車輪代わりに倒木をあてがい、応急処置をして再び出発する。道すがら見つけた農場でトレーラーを修理する。

 農場の住人は未亡の人エイダ。彼女はバートを亡夫の墓を見せに行く。現れたのはニュージーランドにはいないガラガラヘビ。危うく噛まれそうになる。

 その夜、エイダのベッドの中で、子供時代に事故で死んだ双子の弟アーニーの夢を見る。彼の死以来、バートが何事も怖がることはやめようと決心していた。帰りには、エイダを訪ねることを約束して、ボンヌヴィルへ向かう。

 とにかく、このオヤジはもてる。どこか女性の心をくすぐる。老人の多くは、孤独の中で、頑固に生きている。特に男の年寄りは最悪だ。かつてのささやかな栄光を思い出しながら、偏屈に暮らしている。バートは違う。前立腺がいかれようが、狭心症でニトログリセリンが手放せなくとも、心は少年のままで、ボンヌヴィルを追い求めている。

 ボンヌヴィルまであと一息のところで、車が故障して困っていたベトナム休暇兵ラスティを拾う。話し相手ができてご機嫌なバートは、ベトナムでの戦況に楽観的なラスティに、第一次世界大戦や流感の大流行を生き延びた話しをする。

 ラスティはベトナムで「オレンジ色」の枯れ葉剤をまいていると話す。ラスティの登場は、太平洋を挟んで、世界に暴力を輸出しているアメリカへの暗喩だ。
 ソルトレイク・シティにいる恋人を待たせたまま、ラスティはボンヌヴィルまで同行する。そしてバートは見わたす限り塩の平原のボンヌヴィルにたどり着いた。彼は生きて戻れるのだろうか。




 「スピードウィーク」の会場に意気揚々と着くと、出場には事前登録が必要で、未登録のバートは走行できないと告げられる。

 バートがはるばるニュージーランドからやってきたのを知ると、出場者のジムが係員を説得してくれる。ようやくマシン点検の許可は得たが、燃料ポンプの蓋はワインのコルク、バート自身も「年齢オーバー」で出場は却下される。

 あきらめられないバートを見かねた出場者仲間とテストランを強行する。驚いてバートを追いかける係員達。その走りに驚いた係員も最後には折れてしまう。はるばる地球の裏側からやって来たバートと手塩にかけた愛車インディアンのチャレンジが始まる。

 目を見はる迫力だ。エンドロールを読むとわかるが、スピードが最高速に達した際に、インディアンが大きく揺れるが、そのシーンを撮影するためのスタント・ドライバーも参加している。

 バートのインディアン以外は究極の遊びとして資金をかけつくしたマシンばかり。コルクの蓋のオートバイが世界最高速を達成....。

 最初はバートをからかっていた仲間達も歓声を上げる。マッチョが大好きなアメリカ人。彼らを取り巻く若い女の子達もバートのファンになった。

 世界記録を樹立したバートを迎えるのは大勢のインバカーギルの人々。草ぼうぼうで、資産価値が下がると苦情も出ていた庭も綺麗に刈られていた。

 心から歓迎してくれたのは少年トムだった。トムはバートを例のレモンの木に案内する。短い間に背が伸びていたトムとレモンの木。あんなオヤジがいたら、きっと楽しい少年時代が送れる。きっとトムもいいオヤジになれる。


 

 監督・脚本・製作のロジャー・ドナルドソンは、1945年11月15日、オーストラリア南部のバララトに生まれ、65年にニュージーランドに移住している。

 長い下積み時代を経て、1988年「カクテル」(トム・クルーズ主演)、1994年「ゲッタウェイ」(アレック・ボールドウィン/キム・ベイシンガー主演)、2000年「13デイズ」(ケヴィン・コスナー/ブルース・グリーンウッド主演)、2003年「リクルート」(アル・パチーノ、コリン・ファレル主演) などを手がけ、ハリウッドでも活躍している。

 1971年、ロジャー・ドナルドソンは生前のバート・マンローに会っている。面白い老人がいると聞いたドナルドソンはバートにドキュメンタリー製作を持ちかけた。やがてドナルドソンは、もう行かないといっていたバートを、渡航費を出すからと説得し、ボンヌヴィル行きを決行した。そして1972年に完成したのがドキュメンタリー「Offerings to the God of Speed」だった。

 このドキュメンタリーは、73年にテレビジョン・ニュージーランドで放映されて好評だったが、当時のドナルドソンには本格的な映画製作の資金もなかった。78年にバートが亡くなった後、バートを主人公に長編劇映画を作ろうと決心したドナルドソンは、79年に、このプロジェクトをスタートさせた。

 ドナルドソンはこの作品に対する思い入れを語っている。

『資金提供の申し出は何度かあったが、もっと売れる作品になるように脚本を書き直すことが条件だった。僕は自分のビジョンを曲げるつもりはなく、思い通りにこの作品を作れる日が来るまで待つ覚悟はできていた。』
『1993年の「リクルート」完成後、またハリウッド映画を作るよりもバートの物語に戻ろうと決めた。今やらなければ、一生できないと思ったんだ。2年間、脚本の書き直しと資金集めに専念したよ。「ロッキー」や「リトル・ダンサー」や「炎のランナー」のような、皆にインスピレーションと元気を与える作品になると信じて、とことん脚本に手を入れた。バート・マンローのスピリットを捉えた、一切妥協のないエンターテインメント作品を書き上げることができたと思う。』
『当初から関わってくれていたゲーリー・ハナムと僕は世界中からお金を集めようとしていたが、プロジェクトを本格的に始動させてくれたのは、日本で映画のプロモーションを通して知り合ったメグミ(深沢 恵)だった。投資に適した脚本はないかと彼女に聞かれて、ポケットの中にあるよと答えたんだ。彼らが参加してくれたおかげで残りの資金集めの足がかりができた。そこに至るまでは本当に辛く厳しい道のりだったよ。』

 25年をかけてボンヌヴィルにたどり着いたバート。ドナルドソンも30年近い年月をかけて、この作品の完成にたどり着いた。




 バートを演じたアンソニー・ホプキンスも、この作品への参加が楽しくてたまらなかったと語っている。

『ロジャー・ドナルドソンとは20年前、「バウンティ 愛と反乱の航海」でタヒチとニュージーランドで仕事をした。そして今回の電話だ。実に不思議な偶然なんだ。ふと、あれからロジャーはどうしているかなと気になって、電話したんだ。いきなり「トニー、僕のメッセージを聞いてくれた?」と聞かれたから「いいや」と答えた。「返事をくれるつもりじゃなかったのかい?」と彼、「今朝はまだメッセージを聞いてないよ」と僕。「なんという偶然だ」と、彼はこの映画の話をしてくれた。』
『その日の午後に脚本を受け取り、面白い!と思った。ユニークな物語で、本当に、実に素晴らしく書けていて、新鮮だった。ハリウッド大作のドンパチものじゃなく、もっと人間の機微が書けているし、僕にとって真の勝利者を演じるのは大きな変化になる。ずっと変質者や神経質な人間を演じるのに、うんざりしてたからね。僕はすごくハッピーな人間だから、バート・マンローの人生哲学や性格は僕の気性によく合ってるんだ。』

 最初の登場シーンではアンソニー・ホプキンスは、ハンニバルにしか見えなかった。物語が進むにつれて、どんどんとバートに見えてくる。バートになりきっていく。それを一番、実感したのは、アンソニー・ホプキンス自身だったのかもしれない。




 ことさら、製作者が意図したのではないだろうが、アメリカと同じ英語圏の中にさえ、実にさまざまな多様性があることが強調されているように感じられた。ましてやイスラムとなれば、違いは大きいはずだ。

 試写会を見た日の夜、方針変更しないブッシュはイラクへの増派を決定した。演説には巧妙なレトリックがあった。あくまでも米兵の撤退を確実にするための増派であり、治安維持の責任はイラク政府にあると....。逃げ出す伏線を張りながら、ラスティのような若者をまだ送り込もうとしている。

 映画の中で、ニュージーランドからやってきたと聞くと、アメリカ人は、大英帝国「英国」から来たのかという。そのつどバートは「 ニュージーランド」からだと切り返す。そして彼が飲むのはコーラではなく、紅茶だ。英語圏の中にも、これだけの多様性がある。アメリカから見れば、英語圏のはずれにある、とるにたらない「ニュージーランド」からのメッセージ.....。

 ニュージーランドのユニークさについてドナルドソンは語っている。

『ニュージーランドは、何かをやると決めたら、できてしまう国だ。官僚主義や、あるいは映画監督はかくあるべしという先入観を持った人たちに邪魔されないからね。「とにかくやる」という精神に対して非常に好意的な国で、バート・マンローはまさにそういう精神の持ち主だった。彼はニュージーランド人ならではのやり方をした。つまり、不足を嘆くよりも、身近にあるものを最大限に活用したんだ。』

 バートは本当の「ちょいわるオヤジ」だ。本家ちょいわるオヤジの方は、仕掛け人編集長が辞めても、相変わらずコピーは「ちょいわる」のまま。仕掛け人の方は週刊誌の連載でも、相変わらず「女の子」にもてる方法を指南しているが、どれもお金のかかりそうな提案ばかりで、うさんくさい。

 「女の子」の方はもっと冷徹で残酷で、「お金」がもてているだけ。「お金」で買えないものはないと、ある種、反語的な真実を語った元人気者は「拘置所だけはもう二度と行きたくない」、国策捜査だからといいながら、勝ち目のなさそうな裁判を闘っている。

 ワーキングプアーの若者が増えているなど、格差問題も山積みながら、年金がまだしっかりともらえる団塊世代はリタイアを心待ちにしていて、妻がうんざりしいるのも知らずに、蕎麦打ちとかに熱心だ。といって、「公(おおやけ)」に近づいて、ボランティアでも始めようとしても煙たがられ、本家の公の政府の方は変な価値感の先祖帰りを画策している。

 これらはすべて自戒.....。バートのようにはできないかもしれない。バートにようには生ききれないかもしれない。それでも、少しだけでもいいので、思い切り我が儘に、残された時間をしっかりとかみしめながら、本当の「ちょいわる」を捜してみたい。

2005年/ニュージーランド、アメリカ/上映時間:2時間7分
日本版字幕/戸田 奈津子  
字幕協力/(株)モリワキエンジニアリング
提供/OLC・ライツ・エンタテインメント   
配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式ホームページ
http://www.sonypictures.jp/movies/theworldsfastestindian/index.html

2006.12.26掲載
ボビー(BOBBY)< >バベル(BABEL)
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