最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!
top pagemovieスクリーンの向こうへ











 エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜(原題:LA VIE EN ROSE)。

 伝説となったフランスの歌姫、エディット・ピアフ。LA VIE EN ROSE。バラ色の人生。ドキュメンタリーのように、彼女の人生を垣間見させてくれる作品。ピアフは歌声を通じて多くの人々に歓びを与えたのに、バラ色の人生を歩めなかった。

 著名であること、誰にも知られる存在となってしまうこと。それは多くの無名の人々の歓びと哀しみを過剰に引き受け、演じてしまう宿命。彼女は、その宿命と闘い、最後まで歌い続けた。

 1963年10月、47歳の短い生涯を閉じた。葬儀にはフランス中から人々が集まり、パリの交通網はストップした。

 本作は200年2月にフランスで公開されると、わずか8週で動員500万人を突破した。この動員数はフランス国民の約10人に1人に相当するという。

 監督・脚本のオリヴィエ・ダアンは1967年生まれ。マルセイユの美術学校で学び、91年には美術の修士号を取得している。94年に映画監督デビュー。最新作としてジャン・レノ主演の大ヒットアクション「クリムゾン・リバー」の続編である「クリムゾン・リバー2/黙示録の天使たち」がある。

 まるでピアフが生きかえったのかのように彼女を演じたのはマリオン・コティヤール。1975年9月30日、フランスのパリ生まれ。主な主演作品として「銀幕のメモワール」(01)、「世界でいちばん不運で幸せな私」(03)、「エコール」(04)など。最も注目されるフランス若手女優。アカデミー賞の前哨戦といわれるゴールデングローブ賞で、主演女優賞を手にした。
 



わが愛の讃歌―エディット・ピアフ自伝
エディット・ピアフ(著)/中井 多津夫(翻訳)
 彼女の伝記は数多いが、生涯は出生から謎に満ちている。本作をおってみる。エディット・ピアフ(エディット・ジョヴァンナ・ガション)は、1915年、パリでも貧しい人々が多く暮らしていたベルヴィル地区で生まれた。

 時代は第一次世界大戦中、父は不在、母は街角で歌い、日銭を稼ぐ日々だった。母の傍らでうずくまるように凍えている少女。それがピアフだった。生活に困窮した母は、祖母が経営する売春宿に彼女を預け、姿を消す。

 ピアフは一人の娼婦と出会う。彼女はピアフに実の子共のような愛情を注ぐ。ピアフも心を開き、孤独も癒えていった。生まれたときから虚弱体質だったピアフは角膜炎を患う。医者に診てもらえる環境ではなかった。最悪の結果。失明してしまった。

 娼婦たちはピアフの目を治そうと教会に連れて行き、聖テレーズに懸命に祈りを捧げる。奇跡が起こったのか。ある日、包帯をとると、うっすらと光が差し込んでくる。彼女の目は光を取り戻した。その後、ピアフは聖テレーズのクロスを生涯手放すことはなかった。

 乱暴な客が来ても相手をしなければならない。壁越しに客の罵詈雑言も聞こえてくる。娼婦たちはピアフを慈しむことで、救われていた。誰にも愛する対象は必要なのだから。幼い女の子が暮らす環境ではない。それでもピアフにとっては生まれて初めて手に入れた暖かな「巣」だった。

 突然、父が現れる。ピアフに愛を注ぐ娼婦たち。人として愛に目覚めた彼女たちの中には、仕事をさぼるものも現れた。売春宿の経営者としては我慢できない。祖母は、ピアフを父に渡してしまう。娼婦たちは泣き叫び、ピアフを取り戻そうとするが、それも叶わなかった。

 父親は大道芸人だった。金を稼げる場所を探して、各地を転々とする生活。ピアフは投げ銭を父の帽子で集める役目。大した儲けにもならない。ある日、父は思いつきでピアフに歌わせる。歌ったのはフランス国歌 ラ・マルセイエーズ。その歌しか知らなかったのだろう。やがていつもの数倍の金が集まるようになる。ピアフは、自分の歌が人の心を動かすのを知った。

エディット・ピアフ~愛の讃歌 サウンドトラック
 ピアフは美声の持ち主ではない。それでも一度、聴いたら忘れられない歌声。成功を手に入れ、政治家や経済人と交流し、最高級のホテルに泊まるようになっても、幼い日、街角で歌った記憶が彼女の中にあったに違いない。

 優れた芸能は、何かの欠如から生まれることがある。ピアフは、愛されなかった記憶を埋めるかのように歌い続けた。明るいテーマの歌を突き抜けるような高音で歌っていても、そこには痛切な哀しみを感じる。




 1935年、父と別れたピアフはパリの街角で歌っていた。身を持ち崩した母が小銭をねだりにくる。母の顔も見ない。わざと、口汚く罵り、追い返す。そんなささくれだった日々の中で、運命的な出会いがやってくる。ある日、身なりの良い紳士が歌を聴いていた。

 その男は、「もし人生を変えたければここに来てくれ」と名刺を渡した。名門クラブ、ジェルニーズのオーナー、ルイ・ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)だった。食事にでもありつこうと店を訪ねたピアフはいきなり舞台に上げられる。歌声に驚きの声が上がる。彼女は、その場で採用された。

 この娘を店の看板スターとして育てよう。「エディット・ガションはパっとしないな。君を見ていると雀(ピアフ)を思い出すんだよ。今から君はピアフだ」。ピアフ誕生の瞬間だった。

 ピアフの歌を聴こうと、クラブは連日連夜の大盛況。一躍時の人となり、ピアフは有頂天になる。酒も飲み放題、誰だかは知らないが、老若男女が褒めてくれる。毎夜の寝床を探す心配もなくなった。

 仕組まれたかのように、ピアフを悲劇が見舞う。父のように慕っていたルイ・ルプが死体で発見される。ピアフは容疑者の一人として警察に連れて行かれる。容疑は晴れた。気を取り直して舞台に立つと、観客は手の平を返したように、「人殺し!」と罵声を浴びせる。

 失意の中にあるピアフを救ったのは、彼女の才能を評価していた著名な作詞・作曲家、レイモン・アッソだった。一度も音楽教育を受けなかったビアフ。「この娘は磨き上げれば本物の大歌手になる」。アッソはピアフに厳しい訓練を施す。

 復帰コンサートの日、客席は溢れんばかりに埋まり、大成功をおさめる。そこには、街角で歌っていた小さな雀はいなかった。彼女は次々とヒット曲を出し、国民的アイドルへと駆け上がっていく。

 ピアフはアメリカに渡る。フランスの歌手、エデット・ピアフ。ハスキーで変な声。最初は笑っていた観客も、ピアフの歌を聴くうちに、不思議な魅力に圧倒されていく。遂にアメリカの批評家も「無知なアメリカ人にはピアフの歌はわからない。だまって彼女の歌を聞けばいいんだ!」と絶賛する。

 世界的な名声も手にした。そんな絶頂期の1947年、ニューヨークで彼女は最愛の人と出会う。ボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンだった。マルセルには妻子がいたが、二人は急速に惹かれ合っていく。

 愛されたことも、愛したこともなかったピアフ。すぐそばには愛する人がいる。彼女の歌は深く哀しみを宿しながら、歓び溢れるものに変わっていった。

 ある夜、舞台が終わり、食事をしていると、美しい女性が近づいてきた。その女性は「あなたの歌は素晴らしいわ。パリの夜を思い出して泣いてしまったの」と声をかけた。マレーネ・デートリッヒとの出逢いだった。憧れの大スターに声をかけられて、少女のようにはにかむピアフ。その後、デートリッヒとの友情は生涯を通じて続いていく。




 ジェット・コースターのような人生。まだベッドにはマルセルの温もりが残っている。微笑みながらうたた寝をしているピアフに悲報が届く。マルセルが飛行機事故で死亡したのだ。

 取り乱したピアフを誰も止められない。止めどなく酒を飲み続け、誰の静止もきかない。それでも舞台に立つと、凛として素晴らしい歌声を披露する。ピアフには、もう歌うことしか残されていなかった。

 寂しさを紛らわすかのように若い恋人もできる。ピアフは老境に達したような思いだったのだろう。ピアフはやがて母性にも似たような慈愛を周囲に与えるようになる。そんな中で、シャルル・アズナブール、イヴ・モンタンらと出逢い、彼らを世に送り出していく。

 車椅子でないと生活できないほど、衰弱していた。歌を歌いたい。生命の危険があるのを知っている周囲は止めようとする。

 ピアフは舞台に立った。往年の歌声ではない。観客にもわかっている。歌の途中で、倒れていまう。それでもピアフは再び、センターマイクの前に立ち、最後のスポットライトを浴びていた。

 二度と舞台に立てないだろう。それを知っているピアフは、一人で海辺に座っていた。若い女性が近づいてくる。彼女も歌手を目指して訪ねてきたのかもしれない。それに気がづいたのか、ピアフは静かに微笑んでいた。歌は人を幸せにする素晴らしいものよ....と。




 まるでピアフの生まれ変わりのようだと絶賛されたマリオン。彼女には、その賛辞は不満だったに違いない。インタビューで語っているように、姿、形を似せたのではなかった。彼女の孤独とそれと闘った勇気を学んだ。

 演じるとは、体験したことのないものには想像を絶する。一度はピアフに成りきる。その後、自分自身を目覚めさせ、彼女と対話する。ピアフと出逢い、やがて戻ってこなければ、演じきれない。そんな演じることの困難さがよく分かる。

『20代の頃、よく聴いたのがエディット・ピアフ。他の歌手にないほど、彼女の歌にひどく胸を打たれたわ。彼女の歌には絶対的な感情、純真さ、真実性があり、その声を聞けばトリップ状態になったくらい。「Les Amants d'un jour」(1956)や「愛の讃歌」(1949)、「群衆」(1957)は暗記して歌っていたの。後に、いろんな映画で彼女の歌を聴くようになり、はかなさと感情に至る表現まで、真似して歌うほどになったわ。

 監督との面接の前は、ピアフの写真を何枚か見るだけにしたけど、ピアフのことを知りたくて、その気持ちを止められなかったわ。オリヴィエが私との仕事を望んでいると分かった時、即座に、心から必死で取り組もうという気持ちになったの。彼は私に、ピアフの最後の3年間について書かれたジャン・ノルの本をくれたわ。ピアフにはすでに魅了されていたけれど、その生涯を深く知った時はもっと惹かれていったの。

 台本には、ピアフのもっとも力強かった時期のこと、大切な出会い、別離、孤独、希望、そして愛についてが多く盛り込まれていた。47歳で終わる生涯を通して明らかにされる苦しみの中には、幸福でいるときと同じくらいの強さがあるんだと思ったわ。

 私が演じるのはピアフの若い時期から最期に至るまでだから、信じられないほどの役だと思うと同時に、すべて要求されるんだと気づいた。これほどの役を頂いたことは今までになかったし、これほどの人物、その歴史を再現するなんて、これまでになかった。すべてが初めてのことだったわ。不安だったけれど、迷いはなかった。怯えるほど不安なこの役だけは、絶対に降りようとは思わなかった。

 初めに、コーチをつける必要があると思ったの。なぜなら、問題は外見を似せることでも安心を得ることでもなく、この女性に近づいてゆくために力を貸してもらうことだったから。かつて一緒に仕事をしたパスカル・リュノーがとても大切なことを教えてくれた。そのおかげで、私は自信を持つことができるようになったの。パスカルは、私が役をもっと掘り下げるためには、ピアフへの崇拝が邪魔なんだと気付かせてくれたの。崇拝心を捨てたら、彼女を慕う気持ちがなくなるどころか、さらに次の段階に移ることができた。
そしてついに、彼女が孤独というものにこそ、一番耐えられなかった、ということが分かるようになったわ。

 役作りの点では、私はとくに声の特訓をしなければならなかったの。人物になりきるということは、数え切れないほどの資料を読み、インタビューを聞きながら観察してエディット・ピアフを自分に染み込ませようとしたわ。物まねで終わりたくないと思っていたから。

 歌は好きだけれど、完璧を目指していた私には、プレイバックでの技術的な練習は、特に難しく感じた。ピアフの歌い方、体や舌の動かし方、小さな息遣いさえも把握しておきたかった。プレイバックを上手くやるためには、リズムの取り方だけでは足りないことに気がついたの

 息遣いはとても重要だったわ。彼女がどこで息をしているかを紙にメモすることにした。その後音楽をかけ、カメラを回して撮影してみる。幾晩も徹夜して、出来ていないところをノートにメモしたわ。ピアフに成り切るために。そしてついに、彼女の存在、言葉、声の出し方に至るまでがどうかしてしまい、まるで自分の中に彼女が存在しているかのようで、彼女と待ち合わせをするような感じだった!奇跡が起きた瞬間だったし、忘れられない経験になったわ。』

 
エディット・ピアフ~愛の讃歌(DVD/2枚組)
監督・脚本:オリヴィエ・ダアン
音楽監督:エドワール・デュポワ
音楽:ゲイリ・ショーン
写真監督:ローラン・ゼイリグ、パスカル・ヴィラール、ジャン=ポール・ユリエ
キャスト:マリオン・コティヤール、シルヴィ・テステュー、パスカル・グレゴリー、エマニュエル・セニエ、ジャン=ポール・ルーヴ、クロチルド・クロー、ジャン=ピエール・マルタンス、ジェラトール・ドパルデュー、カトリーヌ・アレグレ、マルク・バルベ、カロリーヌ・シロルほか
2007年フランス・チェコ・イギリス合作/140分
提供:ムービーアイ・エンタテインメント×東宝×テレビ東京×朝日新聞社
サウンドトラック:EMIミュージック・ジャパン
配給:ムービーアイ
公式ホームページ

(C)2007 LEGENDE-TF1.INTERNATIONAL-TF1 FILMS PRODUCTION OKKO PRODUCTION s.r.o.-SONGBIRD PICTURES LIMITED
2008.02.04掲載
アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生(ANNIE LEIBOVITZ: LIFE THROUGH A LENS)
いつか眠りにつく前に(原題:EVENING)
movie






Copyright (C) 2012 Archinet Japan. All rights reserved.