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 リトル・チルドレン(原題:Little Children)。

 アメリカ文学界のトップランナー、トム・ペロッタのベストセラー小説を作者自身が脚色し、本年度のアカデミー賞脚色賞にもノミネートされた。

 監督は「イン・ザ・ベッドルーム」でアカデミー賞5部門にノミネートされた知性派トッド・フィールド。
 主演のケイト・ウィンスレットは、本作で5度目のアカデミー賞ノミネートを果たし、ジャッキー・アール・ヘイリーは助演男優賞にノミネートされた。

 ありふれた日常が過ぎていく。誰もが小さな後悔や焦燥感を抱えている。そんな大人になれない大人たち"リトル・チルドレン"の一夏のの物語。最後には救済が用意されているが、エンドロールが終わった時から、彼らはまた物語を紡いで生き始めなければならない。それは私たちも同じだ。

 2007年7月28日(土)よりBunkamuraル・シネマ、シャンテ シネほかにて全国ロードショー。




 ボストン郊外のミドルクラスの人々が住む住宅街。9.11の余韻も感じられず、アフリカ系アメリカンも登場しない。静かな日々が過ぎていく。

 ビジネスで成功した夫と再婚したサラ(ケイト・ウィンスレット)は3歳の娘とこの街に引っ越してきた。近くの主婦たちと子供を連れて、公園でとりとめない時間を過ごしている。

 女性同士の会話はあからさまだ。「セックスの最中に寝てしまったの」。そんな彼女たちをサラは微笑みの裏で「文化人類学者」のように冷ややかに眺めている。
 「文化人類学者」のように.....。閉じられた小さな檻のような街の中で、倦怠しているだけの人という種の女たち。頭の中はセックスで一杯なのに、牝になりたくてもなりきれない主婦。さんな存在とでもサラはいいたいのだろうか。

 彼女たちはある男性が公園にやってくるのを心待ちにしている。プロム・キングと呼んでいるブラッド(パトリック・ウィルソン)だ。彼も息子を連れてやってくる。
 彼女たちは彼の名前も知らず、平日の昼間に娘を連れて遊びにやってくる背景も知らない。会話を交わしたこともない。

 ある日の午後、子供たちがブランコで遊び始めたのをチャンスにサラはにブラッドと話し始める。会話もできずに、プロム・キングを遠くから眺めていた主婦たちは、サラの大胆な行動に驚いている。

 ブラッドが心の中に何か空洞を抱えているのを感じとったサラは、突然、自分からキスをする。主婦たちは大混乱し、子供たちにそんな光景を見せないと、急ぎ足で公園から去っていく。これから何が始まるのか、ときめきの予感と共に、残されたサラとブラッドは顔を見合わせ笑っている。

 あまりにも唐突な物語の始まり。映画の中の、大人の「おとぎ話」といえばそうだろう。それでも似たような出来事は日々、誰にも起こっているのかもしれない。サラのように、それに気付き、一歩を踏み出せるのかどうかの違いだけだ。




 サラは高学歴でフェミニスト的な思考を持つ女性だ。知り合いの女性に娘を預け、ひとりでウォーキングするのが唯一の楽しみとなった。どこかで専業主婦を演じているような居心地の悪さ。

 仕事で多忙な夫リチャーズ(グレッグ・エデルマン)は、家に戻っても、自室に閉じこもり、会話もない。母親の愛情が欲しくて、健気に振る舞う娘にも辛く当てってしまう。心がささくれ立つような痛みを感じる。サラは、それがまた自己嫌悪となり、苛立ちを深めている。

 娘は乳母車にも、車のチャイルド・シートに決して座りたがらない。それは何かをサラに訴える幼い彼女の必死の叫びだ。サラも何が不満なのか、その正体がわからない。

 夫は仕事場のパソコンで見つけたアダルトサイトにはまっている。手に入れたTバックのパンティーを被り、ディスプレイの前で自らを慰めている。静かにドアをノックするサラ。ヘッドフォンをしている夫には聞こえない。サラがドアを開けてしまう。罵りあい、やがて言葉を失う。何を語ればいいのか。もう二人は引き返せないところまで来てしまった。

 サラは通販カタログで真っ赤に水着を見つけた。早速、電話で注文するが、自分のスリーサイズも忘れていて、うまく注文できない。私だって女を忘れていた。戸惑いを隠せない。その水着はブラッドがよく行くと聞いた近くの市民プールで着るためだ。夫婦の心は離れていて、お互いに自分のことだけで精一杯だ。




 ブラッドは法科大学院を卒業し、司法試験にチャレンジしている。すでに二回、失敗し、この夏が最後のチャンスだ。家計はテレビ局でドキュメンタリーを製作している妻のキャシー(ジェニファー・コネリー)が支えている。
 ブラッドが携帯電話が必要だというと、キャシーは家計のことを考えてと取り合わない。ブラッドの「家族割りがあるだろ」という独り言を小さな息子が聞いている。
 この息子も魔法使いのような不思議な格好の帽子をいつも被っていて、それを脱ごうとはしない。両親の不和の予兆から、自身を守るかのように。

 社会的にも意義深い仕事に従事しているキャシー。外からは仲の良い、何の問題もない幸せな家庭。それでも彼女の眼差しは時に浮遊するように彷徨い、相手を見つめるときは、刺すように不安を露わにしている。

 キャシーもブラッドとの関係に溝が生まれつつあるのを気づいている。夜になると、図書館に試験勉強に行くブラッド。彼の不在の寂しさから、母親に電話する。母親はキャシーの声から何かを感じ取る。そして孫の面倒を見るのを口実に訪ねてくる。過干渉気味の態度に、ブラッドはますます居場所を失う。

 キャシーの不安の根元の何処かに、この母親の存在がある。その母親もまた何らかの問題を抱えており、それがキャシーの不安を語る眼差しの遠因にもなっているはずだ。どこかで不幸への連鎖を止めなければならないのに、そのことに誰も気づかない。




 ブラッドは図書館には行っていない。若者たちがスケートボードで遊んでいる公園のベンチに座って時間を潰している。

 ある日、同じ街に住むラリー(ノア・エメリッヒ)が時間を持て余しているブラッドを警官たちのアメフト・チームの夜間練習に誘う。どうせ司法試験の勉強をするつもりはない。クォーターバックが空いていると煽てられ、練習に参加する。
 練習が終わると、ラリーは街に戻ってきた性的変質者への警戒を呼びかけるビラを見せる。自宅まで車で送ってもらう途中、ラリーはビラの対象者の家の前で車をとめた。

 ロニー(ジャッキー・アール・ヘイリー)は小児性愛者だ。子供たちから90メートル以内は近づかないとの判決を受け、矯正施設から釈放され、年老いた母親と二人で暮らしている。

 ロニーを忌避したい住民の気持ちは理解できる。しかし、その行動は限度を越え始めていく。玄関までの道には、誰かが「悪魔」と大きく落書きしている。ドアには何枚ものビラが貼られている。

 ラリーは以前、仕事中に事故を起こし、警官を辞めていた。それでも「警官の仕事が好きだった」とブラッドに吐露したように、街の保安官を標榜し、ロニーを個人的に見はっている。

 ラリーは車の助手席に座ったブラッドに、「いい体をしていな」と語りかける。マッチョなアメフト・チームの仲間。ブラッドへの隠れたゲイ的な関心。彼も自分勝手な正義の裏側に力への信仰と暴力的な感情を内包し、その病には気づいていない。

 「大人の女性を好きになれればよかったのに」と語るロニーの独り言は哀しい。母親はガールフレンドがいれば彼の問題も解決するのではと考え、新聞に募集広告を出す。
 応募してきた女性とレストランで食事をするロニー。彼女もパニック症候群を患っている。精神の病を煩い、それを意識している二人は、お互いをいたわるように楽しい会話の時間を持った。

 この出会いはうまくいったように思えた。彼女の車がロニーの自宅前にとまった。「こんないかれ女に優しくしてくれたありがとう」。自分を理解してくれそうな男性に初めて会ったに違いない。
 ロニーは、突然、彼女を口汚く罵りながら、自慰を始める。こんな方法でしか、彼は彼女と繋がりたいとの欲求を表現できなかったに違いない。彼が車を降りると、彼女は車を急発進して去っていった。その場にロニーは呆然と佇んでいた。




 サラは届いた真っ赤な水着をもって、娘と市民プールに出かけて行く。視線の向こうにはブラッドがいる。偶然の再会を装う二人。こうして二人は市プールで逢瀬を重ねていく。子供たちも仲良くなった。周囲からは仲の良いカップルと子供たちとしか映らない。

 ある日、ロニーがプールにやってくる。脚ヒレとシュノーケルをつけてプールに潜る。周りには水着姿の子供たちが泳いでいる。誰かがロニーに気付いた。全員がプールから上がる。通報で警官がやってくる。ロニーは「涼みたかっただけだ」と主張するが、プールから退出させられる。大喜びしてそれを見送る人たち。
 プールには子供たちの歓声が戻った。夕立がやってきた。子供たちの濡れた服を乾かすためとサラはブラッドを自宅に誘う。遊び疲れた子供たちは二人で仲良くベッドで眠っている。二人はどちらからともなく見つめ合い、貪るように抱き合う。

 サラはキャシーの存在が気になり、ストカーのように車の運転席に隠れて彼女を見ている。そんなことを知らないブラッドは仲の良い家庭を演じている。奇声を上げ、嫉妬に狂うサラ。

 小さなコミュニティだ。人目も少しずつ気になり始めた。そんな不安からか、サラはブラッドとキャシーを自宅のパーティに招く。肌を重ねた男女の関係は、どんなに隠してもわかってしまうものだ。すでにキャシーは二人の関係を疑い始めていた。

 もうサラとブラッドはとまらない。理性的な判断も、抱えている現実も見えない。周りをだまして一泊旅行にも出かける。そして、駆け落ちを決意し、実行に移す。そこからこの物語は、それぞれの悲劇を露わにしつつ、終幕に向けて疾走する。




 キャッチコピーは「大人になれない大人たち」。レビューには「不倫」の文字が踊っている。その方がエンターテインメントとしてはわかりやすいからだろう。

 逆説的に「大人になりたくなかった大人」たちの物語だと考えてみる。すると、不倫という言葉だけでサラたちの行動は理解しにくい。
 このように突然、やってくる親しさとは、何なのだろうか。人が惹かれあう契機とは何なのだろうか。心の空白を埋めるために、似たような空白をもつものを見つけだすのか。それとも何かが過剰であり、その過剰を共有しようとするのだろうか。

 誰にとっても日常は退屈なものだ。その中で、誰かのためにいきたいと願っても、すぐに自身のエゴが頭をもたげてくる。それでは自身のためだけに生きられるのかというと、その瞬間に、もう誰かを求めている。

 そして、これまでの人生で、それぞれ固有に傷ついた心は、どのようにして癒されるのだろうか。そのチャンスはあるのか。そんな深淵なテーマを内包している。


little children(原著)
監督:トッド・フィールド
原作:トム・ペロッタ
脚本:トッド・フィールド、トム・ペロッタ
キャスト:ケイト・ウィンスレット、パトリック・ウィルソン、ジェニファー・コネリー、ジャッキー・アール・ヘイリー、ノア・エメリッヒ、グレッグ・エデルマン、フィリス・サマーヴィル、セイディー・ゴールドスタイン、タイ・シンプキンス、レイモンド・J・バリー、トリニ・アルヴァラード、ジェーン・アダムス、サラ・G・バクストン、トム・ペロッタほか
2006年/アメリカ
配給:ムービーアイ
公式ホームページ (日本語)

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2007.07.18掲載
フリーダム・ライターズ(Freedom Writers)
ボルベール<帰郷>(VOLVER)
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