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 ロスト・イン・トランスレーション(LOST IN TRANSLATION)。監督のソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)の映画はエンターテインメントからはいつも少しばかりかけ離れている。

 創作に関わるものは、自分自身の「初期」を引きずっている。1999年に封切られた彼女の第一作ヴァージン・スーサイズ(THE VIRGIN SUICIDES)もそんな映画だった。

 郊外に暮らすリズボン家の十代の姉妹の美しくもはかなく、不可思議な物語。秘密めいた彼女たちのことを知りたい少年達。ある日、末娘が自殺する。少年達は訳も分からず、彼女たちを救おうとするが、思いは伝わらなかった。描かれていたのは、それ以上、決して近づいてはいけない一時だけの親和性。ロスト・イン・トランスレーションも同じだ。




 映画の舞台は現代の東京。ビル・マーレイ(Bill Murray)演じるボブ・ハリス(Bob Harris)は50歳半ばの盛りを過ぎたハリウッド俳優。サントリー・ウィスキー「響」テレビコマーシャル出演のために来日した。

 ボブはいかにも時差ぼけのままでコマーシャル撮影現場に入る。スタッフが用意した通訳も慌てている。現場での撮影指示もわからない。どうせギャラのためだ。少しの間、我慢すればいい。

 彼がタクシーで東京の街を走るシーンが印象的だ。エトランゼの目として東京の街が映されているが、気がつくと、それはいつも見ている風景だった。新宿かどこかだろうか。

 眠らない街。沢山のネオンサイン。そして、その下を歩くみも知らない人たち。

 この街に住んでいても、ふっと感じる疎外感。何故か気持ちが萎え弱っていても、それとは何の関係もなく、ただ脈絡もなく、元気なこの街。そんな東京が車窓にあった。




 初日の撮影が終わると、彼は宿泊しているパークハイアット東京のバーに向かう。話し相手もいない。それが心地よかった。

 ホテルのバーで一人でいるのは目立つものだ。何の気なしに、周りを見ると、同じように所在なしにしている若い女性シャーロット(Charlotte)がいた。二人は言葉を交わすことになる。

 シャーロットは写真家の夫であるジョン(John)と一緒に来日したが、夫は撮影のために忙しく、かまってももらえない。知らない街、東京。そんな時、ボブがいた。

 こんな出会いが可能な条件とは何なのだろうか。映画ではコミュニケーション不能な異国の地であることが重要な要素となっているが、それはある種、国内上映向けにシンボライズしたものだろう。

 この街に住んでいても出会いはあるかもしれない。それはただの孤独ではなく、何らかの欠如か、過剰のためだ。それに気づいた二人は、この街の住人でも、二人のように出会えるかもしれない。

 ボブがシャーロットに聞く。「逃げだしちゃおうか」....。「そう何から何まで全部から」....。二人はホテルを抜け出し、手を繋いで、夜の東京に逃避行する。

 深夜なのに、沢山の人が集うパチンコ屋の喧噪。誘われて入ったバーティー会場での乱痴気騒ぎ。どこにも居場所はない二人。その日に出会っただけなのに、かけがえのない時間を過ごした二人は疲れてホテルに帰っていく。




 ホテルのエレベータの中で、シャーロットはボブの肩に身体を預ける。そんなことが平気でできる女はずるいと一瞬、思うが、どこかで、男は、嘘でもいいから、優しくしてほしいと思っている。

 でも、我に返ると、そんな時、これ以上、近づいてはいけないと戸惑うものだ。

 ボブはアメリカの妻に連絡する。仕事がもうすぐ終わるといった事務的な連絡だった。後ろめたかったのだろうか。

 「歳を取るともっと楽になるの」とシャーロットがボブに聞いた問いかけがよぎったのか。ボブの答えは、「そんなことはないよ」というものだった。シャーロットは何を抱えてるのか。何を欠如しているか、それとも過剰なのか。魅力的ではあるが危うさを抱えたシャーロット。

 お互いの本質での了解が難しいことは第一作のヴァージン・スーサイズに通じる。この映画で何らか救いがあるとすると、それでも一時の親和性は生まれてしまうということだ。

 その先に何かがあるだろうか。それは親和性だけでは、それ以上、距離を縮めてはいけないということか。

 ボブとシャーロットに帰るべき家庭があるからではない。ふっとよぎった後ろめたさからでもない。親和性を生み出すものが何らかの欠如か、過剰だとすると、それが二人を一時、近づけるけれど、やはり一人で引き受けるべきものだからだ。緩やかでかけがいのない時が過ぎ、二人はこの街でわかれを迎える。




 この映画を観てから、一人で東京を歩く機会が増えた。二人のような出会いを求めてではない。それ以上、近づくと、もっと出会えたかもしれない親和性に傷つけられるのを恐れているからだ。いや違う。親和性を禁止されるのを恐れているからだ。

 すると、どうだろうか。この街、東京は、無国籍的で、自分がエトランゼのように感じられる。何度も訪ね、思い出もあるあの街角を曲がれば、そこにはかつての誰かがいるかもしれない。でも、もう二度と曲がってはいけない街角があることも知っている。

 帰国するボブがタクシーの車窓から見る東京の街は何故か懐かしかった。ボブには去っていく東京。ボブのようにこの街を出て、どこかに行きたいと思った。

 でも、本当はどこにも行けないのだとすると、一人でこの街を歩けばいい。そうすれば、東京は、訪れたこともないほど初対面で、誰も知らない、誰にも知られない街に変わるはずだからだ。

2003年・アメリカ
監督・製作・脚本・ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)
ボブ・ハリス(Bill Murray)
シャーロット(Scarlett Johansson)



http://www.lost-in-translation.com/

ロスト・イン・トランスレーション
3,800円

ヴァージン・スーサイズ
4,8



2005.04.30掲載
陽のあたる場所から< >イン・アメリカ(三つの小さな願いごと)
movie





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