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 クイーン(原題:THE QUEEN)。エリザベス女王を演じたヘレン・ミレンが第79回アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。

 監督はスティーヴン・フリアーズ。1941年、英国レスター生まれ。ケンブリッジ大学で法律を学び、その後、ロンドンのロイヤル・コート劇団でリンゼイ・アンダーソンのアシスタントとして舞台での仕事を始める。印象的な作品は対照的な境遇の登場人物を描いた2002年の「堕天使のパスポート」。

「THE QUEEN」のポスター。物語中には、すでにこの世を去ったダイアナと女王の視線が鋭く交差する象徴的な瞬間がある。
 1997年8月30日、パリのホテル・リッツの前。パパラッチ達のフラッシュを浴びたダイアナと恋人ドディ・アルファイドは裏口から車に乗り込む。追いかけるバイクの群れ。アルマ橋のトンネルに猛スピードで入った車が交通事故を起こし、ダイアナは死亡した。

 離婚後も国民的な人気を集めていたダイアナと、それに反して非難の的となった英王室。中でもエリザベス女王への非難の声は高まっていた。

 この世を去ったダイアナと女王として生き続けざるを得ないエリザベスとの暗闘、そして若き宰相として颯爽と登場したトニー・ブレアと女王の政治的妥協の中で生まれる親和感。

 本当のタブーはいまだに明かされていないはずだが、英国の王室と政治の内幕にこれでもかと肉薄している。

 2007年4月14日(土)シャンテシネにて公開、4月21日(火)新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほかにて全国拡大公開。




 1997年5月、英国では総選挙を前に、労働党の若き党首、トニー・ブレア(マイケル・シーン)の勝利が予想されていた。投票日の朝、ブレアが家族を伴って投票会場に到着した映像がテレビから流れていた。

 エリザベス女王は(ヘレン・ミレン)は、肖像画を描かせていた。投票で自分の意見を明らかにしたい。英国君主でありながら選挙権がないのを画家相手に皮肉っていた。

 翌朝、女王は、前評判通り、ブレア率いる労働党が地滑り的な大勝利をおさめたのを知る。

 英国憲法では女王が元首であり、選挙で選ばれた首相が女王からの委託によって議院内閣制に基づき内閣を組織する。
 ブレアは「過去300年で最大の憲法の近代化を行う」と公約していた。新たな首相と内閣、自らが率いる王室との関係はどうなっていくのか。女王は複雑な心境だった。

 ブレアが夫人のシェリー(ヘレン・マックロリー)を伴って、バッキンガム宮殿を訪ねる。著名な弁護士、成功を手にしたキャリア・ウーマンのシェリーは王室廃止論者だと噂されていた。女王に謁見する際の古色蒼然たるしきたりを聞き、二人は顔を見合わせて悪戯っぽく笑っていた。

 女王の前に進み出たブレア。女王は椅子に座るのを許可する。「その椅子に座った首相はあなたで10人目です」「私が若くして何も知らないまま女王になって最初に、その椅子に座ったのはウィントン・チャーチルでした」とブレアの機先を制するかのように語りかける。

 ぎごちなく短い会話が続いた後、女王は言葉を突然遮り、本題に入る。内閣の組織を委託する女王の前に跪いたブレアは、女王の言葉に「イエス」と答え、右手に接吻する。その間、15分。二人は初対面ではなかったが、英国女王と首相としての対面は極めて実務的なものだった。




 運命の日、1997年8月30日が訪れる。深夜、パリの大使館から待従長(ロビン・ソーンズ)にダイアナが交通事故に遭ったと連絡が入る。同乗のドディはすでに死亡が確認され、ダイアナは集中治療室に運ばれたという。

 フィリップ殿下(ジェイムズ・クロムウェル)は「こんな夜中に何でパリなんかにいるんだ」と苛立ちを隠さない。チャールズ皇太子(アレックス・ジェニングス)はすぐに王室専用機でパリに向かおうとするが、ダイアナは民間人であり、国事行為ではないので「王室の浪費と国民から非難される」と女王に強い口調でたしなめられる。

 8月31日、朝5時、ダイアナの死が伝えられた。チャールズは、再度、「将来のイギリス国王の母親の遺体を王室専用機で連れ戻すことが浪費なのか」と主張し、女王は致し方なく、承諾する。

 ブレアも早朝から対応に追われていた。女王からは何の公式声明もない。すでにバッキンガム宮殿の前にはダイアナの死を悼む国民が集まり、多くの花が手向けられている。
 ダイアナの実兄(実写フィルム)がテレビカメラの前に登場し、「妹を殺したのはマスコミだ」と責任を追及している。

 このままでは大変な事態となると予想したブレアは政府として公式声明を作成するように報道担当官に指示し、女王に直接、電話をする。
 その頃、女王はロンドンから遠く離れたバルモラル城で朝食をとろうとしていた。ブレアからの電話は、国民への声明や葬儀についてだった。
 女王は、ダイアナは民間人であり、彼女の生家が内輪の葬儀で済ませると伝えてきたことをブレアに伝え、それ以上の対応は不要だと強い口調で電話を切った。

 バッキンガム宮殿の前に手向けられた花束は数を増し、衛兵の交代式もできなくなった。事態は深刻さを増している。何としても女王を説得し、公式声明を発表させなければならない。そんなブレアの姿を冷やかに眺めているスタッフもいた。妻のシェリーも「いつから王室支持派になったの」と揶揄している。
 ブレアは、この事態が進むと、政権への大きなダメージとなりかねないと危機感を募らせていた。「女王が自滅しても政権には何のメリットもない」と、スタッフに政府声明の作成を急がせる。
 ブレアの発言に込められた政治的な目論見を感じとった報道担当官は、政府声明の中に「People's Princess(人民のプリンセス)」との文言を加えた。そのことから政府声明は国民の支持を受け、ブレアの人気は、危機的な状況の中でも急上昇していく。

 そんな国民の動向を敏感に感じ取っていたのはチャールズ皇太子だった。パリの病院でダイアナの遺体と対面し、彼女の棺と共に、王室専用機でロンドンに到着する。出迎えたブレアにチャールズ皇太子は、女王をはじめとする王室の古い考え方を非難し、自分は柔軟性のある新しい時代の人間であると耳打ちする。
 



 女王が自滅したとしても、政権はそれと心中しない。ブレアは極めて政治的な判断を優先した。
 そんなブレアと女王の必死なせめぎ合いの中で、自己保身的な対応を続けるチャールズ皇太子。結婚以前からカミラ夫人と不倫を続けていたのは彼だ。そんな態度がダイアナの死の遠因となり、この事態も招いたとも考えられるのに、その責任を認識しようともしない。

 真実はどこにあるのか。それは当事者以外にはわからないだろう。この物語を元に、英国王室のおかれた状況を考えてみよう。

 ヨーロッパの王室は、多くが姻戚関係にある。エリザベス女王(エリザベス2世:エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー)の父親であるジョージ5世にとってロシア皇帝ニコライ2世は従弟であり、ニコライ2世の皇后アレクサンドラも従妹、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は従兄だった。

 英国の現王室は、1901年に死去したヴィクトリア女王の閨閥を引き継いでおり、彼女の時代を称するハノーバー朝は、ドイツのヴェルフ家の流れを汲んでいる。このように、彼らは、生き残るために複雑な姻戚関係を続け、現在に至っている。

 ヨーロッパの各国は、かつての革命を経て、立憲君主制や王政を選択している。革命期に何人かの王はギロチンなどで処刑されている。それらの歴史的な記憶は、彼らの中に潜在し、国民との間に緊張感を生んでいる。そして、彼らを仰ぐ国民の側も、王室(王)は、機構として代換えができるものと認識している。そんな背景の中、ダイアナの死は英国王室が存続できるのかをあからさまに議論せざるを得ない状況を作り出すほど、大きな衝撃を与えた。




 彼らは、男女関係で問題を起こし、離婚を繰り返したり、ドラッグ所有が発覚したりと、極めて人間的な側面も見せる。開かれた王室として国民との間の距離感を慎重に計りながら、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)として表現されるように、「選ばれた者の義務」を果たそうとしている。

 ノブレス・オブリージュについて、最近、話題を呼んでいるのがダイアナの次男であるヘンリー王子の動向だ。

 2007年2月27日の英紙デーリー・ミラーその他によると、以前から前線への赴任を希望していたヘンリー王子は、イラク派遣部隊向けの研修を受け、彼が率いる偵察部隊と共に、イラクのバスラ南部へ派遣される可能性があるとのことだ。
 ヘンリー王子がイラクに派遣されると、テロリストなどの標的となるため、実際の派遣については国防省など軍部中枢が難色を示している。
 このことにもみられるように、彼らは国民との間の緊張感を背景に、「選ばれた者の義務」を果たすため、試行錯誤をしている。

 チャールズ皇太子はダイアナの死を待っていたかのように、カミラ夫人と再婚した。英国国民は大した反対も表明しなかった。英国国民は、すでにチャールズ皇太子は「降りている」と思っているのかもしれない。
 ヘンリー王子は、それに薄々、気がつき、進んでイラク行きを申し出たのではないか。「降りてしまった」チャールズ皇太子に代わりり、ノブレス・オブリージュとしての責任を果たそうとしているのではないか。そして、そのことには王室内部でも、国民の各層間でも、暗黙の合意ができているのではないだろうか。

 騒動が一段落し、女王が皇太后(シルヴィア・シムズ)と庭を歩くシーンが印象的だ。女王が「人生の全てを英国と国民のために捧げてきた」と心情を吐露すると、皇太后は、静かにうなずきながら「あなたがいなくなった後が本当に大変なのよ」と語る。この一言に英国王室の行く末の全てが語られている。

 最後に、ブレアと女王が二人で語り合うシーンも予言的だ。「どんなに賞賛されていても、一夜あければバッシングの嵐に見舞われる」と女王はブレアに語った。
 今では、ブレアはブッシュのイラク政策に追随したことで国民から不興をかっている。本稿執筆時、イランに囚われた15人の自国兵士の解放に際して、イラン政府と何らかの裏取引があったのではと指摘されている。ブレアは、それを否定する声明を出したが、レームダック状況にある政権下、それを真に受ける者はいない。颯爽と登場したブレアへの女王の予言は的中したことになる。

 この物語は、エリザベス女王の人間的な側面を描いたとして評価が高い。一方で、この映画は現在の英国社会のあり方、英国王室の存続の可能性と政権を担う政治権力に対する鋭い批評ともなっている。

※ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)
・フランス語で「貴族の義務」「高貴な義務」の意味する。社会的に地位の高いものこそ、より大きな責任を担うことが要請されている。
・聖書/「ルカによる福音書」12章48節にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」に由来。





 その後の推移は、ニュースなどで報道された通りだ。物語の進行に仮託して、記憶を辿ってみる。

 9月1日、月曜日。王室スタッフ内にも広がる動揺。ダイアナの葬儀についての会合では、女王の意向は公然と無視され、6日後の日曜日にウェストミンスター寺院で国葬を行う方向で方針決定される。各国の皇族だけでなく、ハリウッドスターやデザイナーとった各界のセレブリティーも参列することに...。
 女王は葬儀の派手な内容に呆れていた。フィリップ殿下は、「ゲイもやってくる」「ウェストミンスター寺院でエルトン・ジョンが歌うなんて前代未聞だ」と苛立っている。
 ブレアのもとにチャールズ皇太子の個人秘書から彼の対応に共感し、エールを送っていると電話が入る。ブレアにすり寄りってきたのだ。ブレアは「気味が悪い」と言い放ち、何ですり寄ってくるのかと、不快を露わにする。

 9月2日、火曜日。バッキンガム宮殿に半旗は揚がっていない。テレビでは国民が口々に非難している。旗の掲揚は、君主(女王)の滞在を示すもの。長年の伝統は変えられない。それでも半旗を揚げるべきか悩む女王にフィリップ殿下は、バルモラル城にいる以上、半旗を揚げる必要はない。女王に指図するのは生意気だとブレアに激怒する。

 9月3日、水曜日。新聞記事では王室へのバッシングが更にエスカレート。ブレアは、バッキンガム宮殿に半旗を揚げ、早急にロンドンに戻るのが国民の感情を抑える唯一の方法だと再度、電話で進言する。しかし、女王は、この異常なムードを作ったのはマスコミ自身であり、本来、英国国民が示す品位ある哀悼の表現とはかけ離れていると聞き入れない。
 女王は、気分転換に鹿狩りに出た家族をひとり車で追うが川にはまって立ち往生してしまう。助けを待ちながら、川辺に腰を下ろす女王。スコットランドの大自然の中、ひとりになった彼女の目に突然、涙が溢れ出す。
 国民のために人生の全てを捧げてきた。それなのに、今、彼らから激しい怒りと憎しみをぶつけられている。女王という立場の苦悩と悲しみ、そして憤りといった感情が一度に爆発してしまう。
 そんな女王の前に、美しい一頭の鹿が現れた。その凛とした美しさにしばらく見とれていたが、遠くの銃声を聞き、必死で鹿を逃して安堵する。落ち着きを取り戻した女王の表情には、ある種の決断をしたかのように、威厳が戻っていた。

 9月4日、木曜日。葬儀パレードの沿道には早くも、徹夜組が場所取りに現われる。新聞には相変わらず女王や王室に対する辛らつな見出しが並び、反対にブレアの人気はウィンストン・チャーチルのそれを上回るほどになっていた。
 ブレアは最後の手段に出る。翌朝、発表される世論調査の王室に対する厳しい結果を女王に事前報告する。更に、4人に1人が王政廃止に賛成している現状から、最悪の事態を避けるため女王に提言する。バッキンガム宮殿に半旗を上げ、ロンドンに早急に戻り、ダイアナの棺に別れを告げて、テレビの生放送で声明を発表すべきだと...。女王にも最後の決断が迫られた。

女王に花束を手渡そうとする少女がいた。彼女は女王に「あなたに...」と告げた。

 9月5日、金曜日。ブレアの提言を全て聞き入れた女王は、固い表情でバッキンガム宮殿に戻る。 宮殿に到着し、車から降りた女王は、門の外に積まれた花やカードを丁寧に見て回り、「ダイアナを殺したのはあなたたちだ」と王室を非難するメッセージを目にして心を痛める。

 女王が門の外に集まった国民の中に入っていくのは、第二次世界大戦の終戦以来の出来事だった。

 テレビで公式声明を発表することになる。宮殿スタッフの書いた草稿をあらかじめ目にしたブレアのスタッフは「冷たすぎる」と、「祖母として」の一文を加え、宮殿にファックスする。訂正を女王も受け入れる。そして、イギリス国民をはじめ世界中が見守る中、女王の声明が発表される生放送が刻一刻と近づいていた。




 ダイアナの死とは何だったのだろうか。長年、公然の秘密として、関係を続けていたカミラという人妻がありながら、世界が世紀のシンデレラ・ストーリーとして賞賛した結婚。その女性の存在が明らかとなると共に、ダイアナを見舞う王室内での確執。
 ここまで王室や女王を罵らなくても....。そんな結婚を選んだのは自身の責任ではないのか。当時、離婚後に彼女が苛立ちを語る映像も映画の中で使われている。

 ダイアナも英国の現在の中に生きていた。そんな王室のあり様も、カミラ夫人の存在も知っていたはずだ。結婚前のあのはにかんだような表情、そして離婚後に地雷除去運動などの社会活動に関わる中で劇的に変化した彼女の表情。あの落差は驚きであった。

 両親の離婚もあり、孤独な少女時代を過ごしたという。彼女は自身のトラウマと空白を埋めるために王室を選択し、それを失った後には、さまざまな活動にのめり込むことで再び、その空白を埋めようとしたのではないか。それが彼女にとって必然であったとしても、その後、彼女を見舞う出来事の遠因となったのではないか。

 当時、英国国民や、この国でも巻き起こったダイアナへの賛辞は、冷静に振り返ると、理解しにくい面もある。危険な地雷原に自ら足を運び、エイズに苦しむ幼児を優しく抱き上げる。一方で、ヨーロッパに戻れば、恋人と目された大富豪のヨットの上で、露わな肢体をパパラッチにさらし、バカンスを楽しみ、彼の自家用飛行機で優雅な旅を続けた。彼女は果たして「People's Princess(人民のプリンセス)」だったのだろうか。政権が仕組んだこの言葉自体がすでに形容矛盾なのではないか。

 彼女の死の陰謀説は正式に排除されたが、今でも何かあると、くすぶっている。英国王室という雲の上のようにかけ離れた境遇で暮らしていても、男女の心の有り様は、私たちとそうかわりはないのだろう。そうだとすると、あまりにもかけ離れた境遇の結婚を選んだことが全ての発端であった。きっと彼女自身が最もよく理解していたように、あくまでも彼女の自己責任であった。

 この国には似たような、そして全くかけ離れた不可侵のタブーが存在している。皇位継承のために望まれている男児。極めて個人的な問題。それにも関わらず、都心の広大な杜に隠れるかのように執務している官僚たちは、女性固有の肉体的な周期さえ、当初、管理の対象としたと週刊誌なども極めて慎重に触れている。それひとつをとっても病の遠因となりうるはずだ。

 時として自身も含め、人々は、自から遠くかけ離れた人物や物に熱狂する。ふと、立ち止まって考えてみると、きっと、それは自身の欠如や空白を埋める代替え行為であり、現実を一時、忘れるための逃避かもしれない。

 英国王室といえども、国民の総意に基づき存続が保証されており、時として政治利用される危険性を秘めている。もしも、自身も含めて、人々が、遠く離れた人物と物を崇めることをやめれば....。そこから何かが始まる.....。


監督:スティーヴン・フリアーズ(Stephen Frears)
脚本:ピーター・モーガン(Peter Morgan)
キャスト:ヘレン・ミレン(Helen Mirren)、ジェイムズ・クロムウェル(James Cromwell)、アレックス・ジェニングス(Alex Jennings)、ロジャー・アダム(Roger Allam)、シルヴィア・シムズ(Sylvia Syms)、ティム・マクマラン(Tim McMullan)、ロビン・ソーンズ(Robin Soans)、ジェイク・テイラー・シャントス(Jake Taylor Shantos)、ダッシュ・バーバー(Dash Barber)、マイケル・シーン(Michael Sheen)、ヘレン・マックロリー(Helen McCrory)、マーク・ベーズリー(Mark Bazeley)、ローレンス・バーグ(Laurence Burg)、ミシェル・ゲイ(Michel Gay)ほか
2006年/英仏伊合作/1時間44分/カラー/ドルビーデジタル
配給:エイベックス・エンタテインメント
公式ホームページ

(C)Granada Screen (2005) Ltd/Pathe Renn Productions SAS/BIM Distribuzione

2007.04.11掲載
輝ける女たち(Le HEROS DE LA FAMILLE/Family Hero)
バッド・エデュケーション(La Mala Educacion)
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