top pageothers>08.09_Vol01













  「他人事のように感じる」との記者の質問に「あなたとは違う」と逆ギレして政権を去った首相。正直な人なのだと思う。もう、うんざりしていたのだ。彼は「仕事」を辞めても生きていけるが、こちら市井のものはそうはいかない。

 各メディアでは次期首相の見立てに喧しい。本命は麻生太郎氏だという。会ったこともないし、これからもそんな機会はないだろうから、どんな人なのかは、彼が公に発言し、それを報道するメディアを通してしか判断できない。といって自民党員でも、党友でもないので、今回の総裁選挙へ参加できない。遠いところで決まってしまう、この国の最高権力者。

 インターネットで「麻生太郎 失言」で検索すると、数多くの検索結果が表示される。8月4日、報道されたのは、ドイツのワイマール憲法下での出来事への発言。議会で野党が寝て(審議拒否して)しまうので、一度、ナチスに政権をやらせてみようということになったとの主旨。その後、民主党をナチスに例えた訳ではないと記者団に語ったという。

 その発言の前後は報じられていないので、どんな文脈での発言かは正確にはわからない。それでも教科書で習った程度の歴史知識でも、ナチスの政権奪取は、それ程、簡単なものではなかったのを知ることはできるはずだ。民主主義は面倒なもの。それに苛立ったかつてのドイツ国民を扇動し、暴力的手段も併用しつつ、民主主義の投票行為を通して政権を奪取したナチス。

 これから教訓を得るとすれば、民主主義も完璧な制度ではないということ。そして、何よりもナチスの呪縛から逃れようと、あらゆる努力を今も続けているドイツ国民へのリスベクトを欠いているのが悲しい。この発言がドイツ国内で報じられたのかは知らない。もしも報じられたとすれば、残念ながら、物笑いの種だ。そして、問題があるとすれば、野党が寝てしまうという民主主義の面倒臭さに苛立っていたのは彼の方ではなかったのだろうかという点だ。そうだとすれば、彼は自らをナチスに例えたことになってしまう。民主党も、メディアもそこをつくべきだった。

 誰でも口が滑ることはある。特に公に開かれた場ではなく、内輪の会合などでは多々ある。それでも、だからこそ、本音が垣間見られる恐ろしさがある。彼は、そんな警戒感が少なく、基本的にはざっくばらんな人なのかもしれない。

 安倍内閣の外相時代には、1俵16,000円で売られている日本の標準米が中国では78,000円で売られているのを例に出し、「どちらが高いかはアルツハイマーの人でも分かる」と発言し、これも後に撤回している。まあ、この程度は正直に人だな〜という感想。それでも脇は甘すぎる。

 この程度では済まない発言もある。かつての植民地時代の朝鮮。植民地政策として押し進めた「創氏改名」。朝鮮の人が名字をくれといったのが始まりだったとの主旨の発言。
 高校生時代、遠足の帰りに、一台のバスの到着が遅れた。教師に、そのバスに乗っている生徒の家に、到着の遅れを伝えて欲しいといわれ、その生徒の家を訪ねた。メモの番地を頼りに探しても表札が見あたらない。何度か行きつ戻りつした後にわかった。そこには「朝鮮名」が書かれていた。小一時間、どうしてよいのか迷っていると、その女の子が戻ってきた。見られてはいけないものを、見られてしまったような気まずさ。

 致し方なく、「創氏改名」で日本名をもった方が得だと判断した人もいたかもしれない。それでも、自分自身の名前が占領国のそれに変えられてしまうという理不尽さ。それを戦後も、この国で名乗らなければならない人たちの存在。一度、口から出た言葉は消せないし、時には世界を凍らせる。

 靖国神社に関する発言もあった。2004年9月2日、毎日新聞。「英霊の方は天皇陛下のために万歳と言った。だったら天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」。

 これに関しては、彼の公式ホームページ上に、外交評論家の手嶋龍一氏のコメントとして背景が語られている。それによると、麻生氏は手嶋氏との中央公論誌上で対談で次のように述べたと記載されている。

『麻生太郎外相と対談した。そのなかで麻生外相は「靖国問題を打開するための3原則」を初めて明らかにしてみせた。
 まず、「靖国神社が戦後宗教法人になってしまったことで聖教分離を定めた憲法との抵触がいわれるようになり、もう天皇陛下がおいでにはなれません。靖国が政治的になってしまった」と述べ、靖国神社の非政治化をと提唱した。第二に「そもそもの間違いは戦没者を祀るという大事なことを一宗教法人に任せたまま、今日まできてしまったということ」と述べて、靖国神社の非宗教法人化が望ましいとした。第三に、戦没者を祀るという重要な事業を一宗教法人の運営に委ねることなく、国が責任を持てる形態への変更を提案した。
 対中外交に責任を持つ外相が、こうした新提案をしながら靖国へ参拝することなどあるだろうか。 

 手嶋が前述のように、麻生氏の公式ホームページに定期的にコメントを寄せているのは知らなかった。親しい間柄なのだろうか、このコメントも好意的なものだ。

 「靖国問題を打開するための3原則」。その内容は理解できるものだ。それでも違和感が消えない。何故だろうか。靖国神社が宗教法人となったので、天皇が参拝できないという最初の箇所だ。彼は結局の処、「英霊の方は天皇陛下のために万歳と言った」との思いを前提に、靖国神社を非宗教法人化し、天皇に参拝して欲しいのだ。

 死に際の兵士が言葉にしたのは「天皇陛下万歳」ではなく「お母さん」だったと語られているが、前回、概説したNHKの終戦特集に登場したかつての一兵卒たちはそんなことはないと語った。万歳とも、お母さんと叫ぶこともなく、多くの兵士は餓死して果てたという。

 この一連のNHKの特集では、日本政府が中国での傀儡政権運営に麻薬で得た資金を用いていたと報じた。それを最初に画策したのは関東軍の参謀長時代の東条英機だった。関東軍は中国で独自の活動を続けるため、正式な国家予算を用いることができず、これら麻薬資金を用いたという。後に首相となった彼は、国内におかれた東亜院という国家の正式機関で、この麻薬政策を統括したという。この件は極東軍事裁判でも罪状のひとつの加えられていたという。

 これら麻薬資金は主に傀儡専権の軍備費としてに使われたという。特にアメリカはこの問題に注視していたようで、日本政府に無条件降伏の最後通牒を突き付けることになるハルがその時期、詳細な報告書を作成していた。

 最初に中国を麻薬漬けにし、植民地化したのは欧米列強。似たようなものだが、開戦への端緒となった日本への経済制裁の背後に、これらの問題が深く関わっていたのは知らなかった。

 各メディアは麻生太郎氏は「若者に人気があり」「国民的な人気も高い」と、どれもが常套句のように報じている。秋葉原で、オタク同士で、キャラが立っていると演説し、聴衆が一時、湧いたとしても、果たしてそうなのだろうか。

 もしかすると、これは各メディアが仕組んだ意地悪な逆説、褒め殺しとなるかもしれない。自民党が、この常套句を少しばかり信じ、選挙の顔として麻生氏を選び、麻生氏も、そんなものかと誤解した後に首相なったとしても、彼の一連の歴史認識と現状判断を知る時、とても長くは持たないような気がする。

[2008.09.03]

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