top pageothers>09.06_Vol01













 編集部員は、ある私鉄沿線の急行の止まる街に住んでいる。駅前には、その一棟だけが目立つ高層マンションがあり、地下には、高級感が売りのスーパーが入っている。そこから100メートルほど離れた処には、低価格路線のスーパーがあり、更に50メートルほどの処には100円コンビニがある。

 時間があいてる時に、それぞれの店に買い物に行く。その三つの店を回る時の心理は少しばかり複雑だ。

 2リットル入りのお茶のペットボトル。同じメーカーでも、高級志向のスーパーでは248円、低価格スーパーでは178円。そしてそれが最近、138円になった。138円のペットボトルは夕方に行くと、もう一本も残っていない。自由競争なのだから、ひとつの商品に複数の価格があるのは当然だとしも、価格とは一体なんだろうかと考えてしまう。

 二つのスーパーの客層は明らかに異なり、それも複雑な思いにさせられる。高級志向のスーパーに通う客は、わざわざ138円のベッドボトルを買うために低価格志向のスーパーには行かないようだ。貧富の差とはと大上段に振りかざさなくとも、こんなところにも、格差は現れている。

 不思議なこともある。ショウガ焼きに使う豚肉は、高級志向のスーパーの方が相対的に安いし、質も高い。ただし鮮魚は明らかに、高級志向のスーパーの方が良い。たまに美味しい魚を食べたいと思うと、そちらのスーパーに行く。そんなささやかな使いわけをしている。

 時間帯によって客層も異なっている。土曜日、開店間際の低価格路線スーパー。年金生活とおぼしき高齢者が中心だ。一人で買い物にやってくる高齢の男性も多い。朝には割引セールがあるからだ。
 夜の8時以降、低価格路線のスーパーは独身とおぼしき男女で溢れている。閉店の2時間ほど前になると、20%、30%、50%の割引シールが貼られるからだ。冷凍食品は常時、40%割引。彼らはそれらの割引商品を買い込んでいく。
 100円コンビニはいつも若者で賑わっている。そして、最近、高齢者も目立つようになった
 高級志向のスーパーでは、そこまで時間帯によって客層は偏っていない。哀しいかな、余裕の現れなのだろうか。

 100年に一度の経済危機がメディアでも常套句となった。統計的にも、生活保護受給者も増えているし、ホームレスの増えているらしい。それでも、これ以上、落ちようがないからか、経済指標も景気の底打ち感を示している。

 一方で、この東京という街を歩いていても、行き倒れの人は見かけないし、表参道を歩けば、開店ラッシュとなった若者向けの店はいつも繁盛している。銀座、丸の内、六本木のランドマークに行けば、お洒落な女性達で溢れている。それでも、彼女たちの消費動向も変化しているようで、いわゆる高級ブランドは軒並み、苦戦している。

 景気は本当に最悪なのだろうか。すぐに売り切れる138円のペットボトルから見れば、そうなのかもしれない。それでも、市井の人たちは、自分自身でさまざまな工夫をし、微調整しているというのが正しいのではないだろうか。

 何枚もカードを持ち、その利用限度まで消費するという米国人のライフスタイルが世界経済を引っ張ってきた。CNNを観ていると、その米国では、少しばかりエキセントリックとも思えるエコ指向と相まって消費は美徳との考え方への反省が語られている。

 果たして消費は「悪」なのだろうか。この国でも消費はGDPの過半を超えている。豊かさの希求が資本制の根元にある限り、そこからもう後退はできない。

 必要以上に危機を煽るのはなく、この国では、今、消費の質への微調整が起こっていると考えるべきなのではないだろうか。そして、もう一度、この微調整が起こっている間に、幅広い中流層を再構築できるかが次へのターニングポイントとなるだろう。

[2009.06.08]

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