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 8月30日、民主党が308議席を獲得し、政権与党となるのが確定した。一晩あけた31日、朝から各局のワイドショーは、この話題で持ちきりとなった。午後、2時から記者会見した麻生首相は、反省を語りながら、記者から突っ込まれると、苛立ちを露わにしていた。ここまで大敗したのだから、肩の荷を降ろすチャンスだったのに、どうしても敗北を認められなかったのかもしれない。何かを読み違ってしまう人なのだ。そして、すでに彼は過去の人となり、それがどのようななものとなろうとも、何らかの「変化」は起こるだろう。

 テレビや新聞の報道を通してしか知り得ないが、ここまで劇的な変化が起こると、その中で右往左往する政治家達の立ち振る舞いがよく見えた。落選すれば、即、失業。権力の蜜も手放すわけだし、その恐怖は理解できる。人とは、このようなものかもしれないし、人ごとではないのだが、その狼狽は、やはり見苦しかった。

 自民党と連立を組んでいた一方の政党。主要なメンバーは落選し、政党としての体はなさなくなった。支援団体の宗教組織が、どの程度の影響力を行使しているのは知らない。この政党に問題があるとすると、一般の支持者は、市井の人々であるのに、組織上部の構成員は、政権与党が行使しうる権力にすり寄る感性をもっていたことだ。市井の一般の人々の不安や不満を信仰を通して現世利益として結集し、その力を、政治権力行使の手段とする。彼らの組織の中には、あらかじめ分裂が潜在しており、それが今回、露呈した。

 政界渡り鳥と揶揄され、自民党の総裁候補とまで持ち上げられた女性政治家。今回は、メディアには諸派として扱われた、もう一方の宗教組織からの支援を受けた。自らの立ち位置を探る鋭いアンテナをもつことで可能だった渡り鳥的行動が行きすぎ、禁じ手をとらせた。このことは、自民党が再生する中で、彼女が再び、頭角を現すとしても、大きな禍根となるはずだ。追いつめられれば誰もがなりふり構わず生き残り策を探す。彼女は踏み留まるべき一線を越えてしまった。

 自民党は選挙戦の終盤、保守バネに期待する禁じ手を使った。配布されたリーフレットで使われたキーワードは「日の丸」と「社会主義」だった。民主党のどこかの支部が、シンボルマーク制作時に、日の丸を切り刻んで利用したとのこと。国旗を切り刻むとは何事かと強く非難していた。民主党が政権をとれば、社会主義になるとのフレーズもあった。
 国旗は、白い布に赤丸が描かれたただのシンボル。国旗へシンパシーをもつか否かは個々人の心情の問題。その心情を外在化して、物神のように過剰に崇めてはいけない。そして、今回の政権交代の隠されたテーマ。それは世界に遅れて、ようやく55年体制に終止符が打たれたこと。今さら、社会主義になるといわれても、普通の保守感覚を持つ自民党の支持者さえも、驚いたに違いない。

 今回の民主党勝利の陰の立て役者は、次男に支持基盤を譲って、さっさと引退表明をした小泉純一郎氏だった。「自民党をぶっ壊す」とのフレーズが、自民党再生への逆説だったにも関わらず、彼がもたらした再生への猶予期間を、自民党は何の手だても講じず、浪費してしまった。
 郵政民営化、規制緩和、財政健全化の方針は基本的には正しかった。公的権力は小さな方がよい。民でできることは、民でやった方がよい。問題は、それら施策の実行に伴い、きめ細かさが足らず、「民」の方がやりすぎたことだ。そして米国と同様に、政府の財政支出による介入を招いた。エコポイントやエコカー減税。原資は税金だから、喜んでばかりはいられない。

 小泉氏の次男は強い世襲批判にも関わらず代議士となった。テレビ出演時の言動を聞くと、まっとうなものだし、彼は自民党再生への救世主となるかもしれない。少なくとも、記者会見で「首相」と間違って呼ばれ、ニヤニヤしていた人物や、禁じ手を使った渡り鳥の女性よりも、ましだからだ。
 小泉氏が描いたストーリー。ドブ板選挙をしたにも関わらず、小選挙区で落選した大物政治家達は、彼の次男登場の露払いでしかなかった。民主党が最も警戒すべきは、小泉氏が描いたかもしれないストーリーだ。

[2009.09.01]

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