top pageothers>09.09_Vol01













 政権交代が現実のものとなり、新たに成立した政府は、その歩みを始めた。恒例のひな壇での写真撮影の後、鳩山首相から任命された閣僚たちは、初の記者会見を行った。

 平野官房長官は、居並ぶ記者たちを前に、各省庁で行われていた事務次官の会見は行わないと語った。それに対して一部の記者から「報道統制ではないのか」との疑問が提示しれた。
 それに対して、平野監房長官は、「この政権の目指す政治主導を明確にするため、官僚が、その省庁を代表するかのように公の発言をするのは禁止する」と明確に応えた。それにも関わらず、記者からは、何度か、同様の疑問が呈された。

 官僚たちにも意見があり、それを表明する権利はあるだろう。問題は、公に省庁を代表するかのように発言することだった。政治主導を大上段に振りかざさなくとも、国民の代表として政治、行政権力の行使を委託された大臣たちが公に発言する。そして、その施策が国民の信を失った時、選挙という洗礼を受けて、退場する。これが代議制の根幹だ。

 政府側は、記者たちの取材行為そのものを禁止するとはいっていない。彼らが繰り返し、疑問を呈する姿に強い違和感を覚えた。そこに居並ぶのは、メジャーなメディアの記者たちであり、記者クラブに所属するものたちだ。問題は、記者クラブ制の特権に甘え、官僚が行う会見を鵜呑みにし、本来の取材行為に手を抜いていたのではないかという点だ。

 小泉氏が登場した際には、新自由主義の抱える課題を捨象し、熱狂を煽った。秋葉原で演説した麻生氏の姿を繰り返し報道し、「国民的人気が高い」と報じた。「国民的人気が高い」とのメディア報道を自民党が信じ、彼を総裁に選んだことが、今回の政権交代の遠因だった。そして、今は、「小沢幹事長による権力の二乗構造」が常套句として報じられている。

 メディアはいつも独特の言い回し、事情通的、常套句的な表現をする。それを鵜呑みにすると、とんでもないことになる。エンターテインメントとして、面白おかしく、うがった表現をするのはよいのかもしれない。一方で、メディアに望むのは、事実=情報はそのまま伝え、それに対する見解、解釈を表明することだ。 そして、そろそろ不偏不党との建前を棄てて、全ての記事を署名記事とし、政治的な立場さえも表明すべきなのではないだろうか。

 そして、それが今回の政権交代を選択した責任を感じ始めた読者への貢献だし、共にメディアとしての責任を共有することになるのではないだろうか。

[2009.09.017]

前回< >次回





Sony Music Shop
Copyright (C) 2012 Archinet Japan. All rights reserved.